森友問題を「職業としての政治」を読みながら見てみるーマックスヴェーバー 職業としての政治


森友文書問題が最初に指摘されてから1年以上過ぎた今でも、まだ解決までは時間がかかりそうだよ。

公的文書が書き換えられたという点で、日本という国の信頼に関わる大きな問題だね。だから、政治家、そして官僚の皆さんには徹底して情報を明らかにしてほしい限りだよ。

さて、その政治家や官僚に読まれている本があるよ。

マックス・ヴェーバーの職業としての政治 (岩波文庫)だよ。
日本ではウェーバーとよばれることもあるけれど、現地読みだとヴェーバーだよ。

その中に、森友文書問題や都議会の闇と関係する内容が書かれていたから紹介するよ。

1.「政治家」とはどうあるべきか

1.1政治「によって」生きる者、政治「のために」生きる者

ヴェーバーは、職業としての政治でこのように著しているよ

(前略)従って、すなわち経済的な側面に関係している。政治を恒常的な収入源にしようとする者、これが職業としての政治「によって」生きる者であり、そうでない者は政治「のために」ということになる。

(中略)

政治「のために」生きることができるためには、(中略)政治から得られる収入に経済的に依存しないですむこと、ずばり言えば、恒産があるか、出なければ私生活の面で十分な収入の得られるような地位にあるか、そのどちらかが必要である。

マックスヴェーバー 職業としての政治

いきなり俗っぽいことを書くけれど、政治家が政治「のために」生きるためには、お金を持っていなければいけない。

そうでないと、政治云々よりも自分の生計を立てることに必死になって、選挙のテクニックばかり考える政治屋になってしまうよ。

イギリスの貴族院議員なんかは無報酬だよ。ある意味ボランティアだね。

衣食足りて礼節を知るじゃないけれど、たしかに2世3世議員はお金関係の問題は少なく思うよ。世襲政治も悪いところばかりではないみたいだね。

1.2.なぜ民主党政権は評価が低かったか

安倍政権になって久しいけれど、その一つ前は野田政権、つまり民主党が与党だったんだね。

NHKの調査によると、民主党の歴代3総理は支持率30%未満だった時期があるよ。

安倍総理は森友問題で信頼を失っていると聞くけれど、まだこの域には達していないよ。

では、なぜ旧民主党政権はうまくいかなかったんだろうか?

職業としての政治を読むと、そのヒントが隠されていたよ。

ところでこれらの指導者は言葉の最も本質的な意味での「天職」に基づいた政治家であるが、むろん現実における政治権力闘争はどこでも、彼らの力だけで推進できるものではない。決定的に重要なのは、むしろ彼らの手足となってたらく補助手段のほうである。 マックスヴェーバー 職業としての政治

総理にとっての「補助手段」とは何か?

一つは官僚、もう一つは与党だね。

自民党の長期政権により、官僚の方も自民党の考えを忖度しやすい、使いやすい手段になっている。

それに、自民党は党内でまとまるという性質がある。

橋下徹氏はネット番組でこういっているよ

自民党はやるとなったら団結する。でも旧民主党の政治家は優等生的な発言は多いけれど、党内でまとまらない

例えば鳩山さんが沖縄問題に取り組もうとしたとき、民主党の党員からも反発が上がった。

もちろんその責任は鳩山元総理にあると思うけれど、民主党という政党がもう少しまとまっていれば、民主党政治はもう少しまともなものになっていたかもしれないね。

2.政治における官僚とは

2.1.官僚は偏ってはいけない

さて、では次に、指導者にとってのもう一つの補助手段「官僚」についてみていこう。

森友問題は、この官僚の扱いがうまくできていないことが、もつれの一因だね。

職業としての政治にはこう書いてある。

生粋の官吏はー(略)-その本来の職分から言って政治をなすべきではなく、「行政」をーしかも何よりも非党派的にーなすべきである。

(中略)官吏である以上、「憤りも偏見もなく」職務を執行すべきである。 マックスヴェーバー 職業としての政治

まさにこの部分が、現在財務省や文科省が問われているところじゃないかな。

もちろん官僚というのは行政の執行者だから、リーダーによってデータや予測を変えてはいけないね。

やるべきことをきっちりやる、その意味では、データを書き換えるのは官僚としてあってはならないことだと、改めて思わされるね。

2.3.官僚政治はだめなのか?

では、官僚主導の政治はダメなのだろうか?

確かに官僚という人間は学歴的には日本トップレベルの人間だし、頭も相当いいはず。

森友問題だと、変な忖度などやらずに、合理的に淡々と「基準に応じていません」と森友学園を拒否すれば済む話だったよね。

ヴェーバー自身、職業としての政治の中でこう書いている

シュテンゲに対する君主絶対主義の台頭と同時に、君主の親政は徐々に後退し、専門官吏ー彼らの助けがあってはじめて、君主のシュテンゲに対する勝利も可能となったー中心の支配がはじまったわけである。-マックス・ヴェーバー 職業としての政治

君主制が衰弱したのは官吏官僚の存在が大きい。逆に、政治家は官僚をうまく使わなければまともな政治は運営できないんだね。

そんな官僚も、政治家としてみると欠点というべきところがある。

これに反して、政治指導者、したがって国政指導者の名誉は、自分の行為の責任を自分一人で(本文では点線付き)負うところにあり、この責任を拒否したり転嫁したりすることはできないし、また許されない。官吏として倫理的に極めて優れた人間は、政治家に向かない人間、特に政治的な意味で無責任な人間であり、この政治的無責任という意味では、道徳的に劣った政治家である。こうした人間がー残念ながらわがドイツのようにー指導的地位にいていつまでも跡を絶たないという状態、これが「官僚政治」と呼ばれているものである。 マックスヴェーバー 職業としての政治

政治家の役割は、責任を自分一人で負うところ。

その意味では、官僚が政治をしようとすると、無責任な政治になってしまう。

「政治的に無責任な」官僚をどう扱うか、これが政治家の手腕だともいえるね。

3.国会前デモは文書公開につながるか

3.1.政治家は不都合な真実を公開しない

今回問題なのは、自民党・そして官僚が文書を隠したり改竄したりして、なかなか全部を透明化しないということ。

しかしこのことはすでにマックスヴェーバーに見抜かれているよ。

最後に真実を述べる義務の問題がある。絶対倫理にとってこれは無条件なものである。つまり一切の文書、とりわけ自国に不利な文書もすべて公表し、この一方的な公表に基づいて、一方的、無条件的に、結果を考えずに罪の告白をなすべきだ、というのがそこから引き出された結論である。しかし、政治家なら、真実はこうした方法によっては結局明らかにされず、激情の濫用や暴発によって確実に蔽われてしまうということ、そうではなく、中立の第三者による周到で計画的な事実の確認作業、これだけが有効で、それ以外のどんな方法も、これを用いた国民に対して、数十年かかっても取り返しのつかないような結果をもたらす、という事実に気づくはずである。 マックスヴェーバー 職業としての政治

この記事を書いている4月14日、国会前でデモ活動が起こったよ。

総理退陣に対しての効果はあるかもしれないけど、文書公開に対しての効果は、マックスヴェーバーによればゼロのようだね。

少なくとも、総理や与党に対してではなく野党に対して「中立の第三者的確認作業ができていないじゃないか」と訴える方が、マックスヴェーバー的には正しいのではないかな。

まずは明らかにすると同時に、第三者委員会を設置する、あるいは重要人物を国会に召喚する。その際、首相攻撃ではなく、中立的な立場での質疑を野党議員には希望するよ。

 

本日はここまでだよ。

首相の身の回りがクリアになることを心から望んでいるよ(^●ω●^)

 

コチラもオススメ!

学問が「職業」とはどういうことか マックス・ヴェーバー 『職業としての学問』要約

自己啓発書読みまくるより、『学問のすすめ』読もうぜ。

 

 

 


政治って何だ! ? – いまこそ、マックス・ウェーバー『職業としての政治』に学ぶ – (ワニブックスPLUS新書)


職業としての学問 (岩波文庫)


徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪 (月刊Hanada双書)


Published by english-otter

早稲田大学先進理工学部生。英語とクイズ番組が好き。 社会問題も興味あり。計算も好き。要はたいがい好き。 好きな人は小倉唯。男性は伊沢拓司。 twitter @english_otter Naverなどまとめサイト・キュレーションサイトへの無断転載は禁止しておりますのでご了承ください

2 Comments to “森友問題を「職業としての政治」を読みながら見てみるーマックスヴェーバー 職業としての政治”

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