はいどうも、カワウソだよ。
2018年の冬アニメで、アニメが発表される前から期待が高かった作品のひとつに、りゅうおうのおしごと!があるね。
なにせ、このライトノベルがすごい!で2017、2018で1位に輝いたよ。
さらに『のうりん!』の作者である白鳥士郎先生の作品だというのも、またその質の高さを保障していたと思うよ。
普段はライトノベルを読まない僕も手に取り、全巻購入している数少ない作品だよ。僕が全巻かっているのはこれで4作目だよ。
でも、というか、原作が好きだからこそ、アニメを見て少し残念なところがあったように思うよ。
実際、アニメを視聴者が評価するサイト・あにこれにおいて、りゅうおうのおしごと!の評価は60.1点。2018年冬のTVアニメでは第10位。
決して低くはないけれど、原作でラノベ界トップの座を勝ち抜いた作品がアニメになった途端この順位というのは違和感を抱いてしまうよ。
ちなみに、同じ作者によるライトノベル「のうりん」のアニメは72.8点、2014年冬TVアニメでは7位を記録している。
もちろん、ラノベの評価とアニメの評価は観点が異なるというのは承知しているけれど、この差は何だろうと考えてしまうよ。
今回は、その点を考えていくよ。
※この記事は、アニメりゅうおうのおしごと!そのものを批判しているものではなく、アニメと原作とに大きく差異が感じられる作品の特徴は何か考えるにおいて具体例として挙げているにすぎません。ご了承ください。
目次
アニメ「りゅうおうのおしごと!」で扱われていた場面・扱われていない場面
原作とアニメは何が違うのか
りゅうおうのおしごと! の原作とアニメとでは何が違うか考えて、ひとつ思うところがあったよ。
原作では、視点が主人公の九頭竜八一だけでなく、彼の姉弟子の空銀子、師匠の娘・清滝桂香の視点からの描写が書かれているよ。
物語自体は将棋をベースとした熱血物語だけど、ただ九頭竜竜王から見た将棋だけでなく、女流棋士からみた男性棋士、将棋、女流将棋も扱っている。
もちろん主人公視点の内容が一番多いんだけど、全体の2、3割くらいは別の登場人物の視点で書かれているよ。
でも、どうもアニメではそういう視点がすくなかったようだ。
例えばマイナビオープンでアマ棋士からプロの女流棋士が誕生する話では、
桂香さんが初戦では負けてその後連勝、最後に自身最大のライバルと戦うという熱いストーリーが桂香さん視点で書かれていてとても「熱い」ものだったんだけど、
アニメではほとんど省略されていた。
八一の弟子である雛鶴あいや夜叉神天衣も、どちらかといえば八一視点が多かったのがアニメを見た印象だよ。
もちろん小説そのものが非常に濃い話で、それをアニメの1クールにおさめるためには当然なのだろうけれど、このように、特定の話についてほとんどまるまる省略してしまっているのが、りゅうおうのおしごと!のアニメでうかがえることだよ。
物語の省略はアニメでは仕方ないのか
では、なぜ多くの重要と思われる場面が省略されているのか。
思うに、これがアニメの特徴の一つなんじゃないかな。
つまり、アニメにおいては視点を一つにした方がよい。
作者の白鳥士郎先生は、のうりんでは「どうせこういうのが売れるんでしょ」という感じで書いた一方、りゅうおうのおしごと!では「自分の書きたいように」書いたという。その結果、多角的・多くの視点を取り入れた作品となったと思われる。
アニメだとか読者の評価とかを気にせずに書いた結果素晴らしい作品になった一方で、それをアニメで表したとき、どこか物足りない結果になってしまったのではないかな。
どういう小説がアニメに向いているのか?
アニメは視点を固定させる
もちろん小説という業界にははっきりしたマニュアルがあるわけでないし、どう描くのが正解というものはないよ。
でも、もしアニメ化まで意識するならば、「話のほとんどを単一視点(主人公視点)で進める」と、ストーリーの多くをアニメ化しやすくなるんじゃないかな。
もちろん、りゅうおうのおしごと!の小説自体は僕も大好きで、平均的なラノベよりもかなり内容の濃い作品だと思うけれど、
だからこそ、アニメにおいて違和感を抱いてしまったように思うよ。
りゅうおうのおしごと!は白鳥先生の4作目の作品で、アニメ化も今回が初めてじゃない。
だからこそ、自分の書きたいものを書き、その熱意が伝わった結果、このライトノベルがすごい大賞を連破した。
ただ、それがアニメで12話に収めようとするには濃すぎたため、すべてを表現しきれなかった。
それが、僕がアニメ「りゅうおうのおしごと!」に抱いた違和感の原因だと、ここでは結論付けておくよ。
本日はここまでだよ。
見てくれてありがとうだよ(^●ω●^)
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