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【感情論】子供用ハーネスは親の怠慢だという意見を破壊します。

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はいどうも、カワウソだよ。

最近、ツイッターなどで、子供用ハーネスの是非が話題になっている。

どうも、とあるアカウントが「親の怠慢」とか「ペットみたい」とか言ったそうで、しかもその人自身は子供を持ちたいとは思っていないらしい。

もとのツイートは消されたようだけど、このことについて一言書かせてほしい。

 

はっきり言わせてもらう。ハーネスについて、「ペットみたい」とか、「親の怠慢」とかいう意見を持つのは、中長期的に考えていない意見だ。

差別ではない。論理的に考えると、当然の結論だ。どちらかというと、もとのハーネス不要論を主張した人のほうが差別的ではないだろうか。

今回は、そのことについて説明する。普段、意見を破壊するという表現を僕はしないけれど、今回はそう書かせてもらう。

あまりにもひどく、ばかげた話であるにもかかわらず、この不要論に同意してしまう人が少なからずいるからだ。少し強硬にいくことにするよ。

 

子供用ハーネスは子供の将来負担を減らす

減るのは親の負担だけではない

まず、冒頭で述べたように、子供用ハーネスを親の怠慢だ、道具に頼らず命がけで子供を守れという意見は、長期的なスパンで考えられていない、きわめて感情的なものだ。そのことを、掘り下げて説明する。

どういうことかというと、子供の負担を考えていない。親の負担ばかり注目されるけれど、この視点を持っておきたい。

この議論のきっかけとなるツイートでは、「道具に頼らず。親は命がけで子供を守ってほしい」と書いてあった。この部分についてよく考えてみよう。

 

もちろん、ハーネスを使っても大変だ。ハーネスを使っている親もまた命がけであることは、これを使ったことのある親なら理解するだろう。

しかし、それでもハーネスがない場合よりも幾分かは負担が軽くなることは確かだ。そうでなければ、そもそも子供用ハーネスという道具は使われない。

で、ハーネスを使わないことで心労が増える、命がけな場面が多くなるとどうなるか。これは明らかに、体調を崩す。

 

体調を崩すならまだいいが、それが溜まれば寿命に関係してくる。元のツイートでは「命がけ」という言葉が使われているけど、本当に親の命に影響する。子供の面倒を見るというのは、それくらい大変なのだ。

一般論として、親の寿命は長いほうがいい。それは精神的にも、肉体的にも、経済的にも言えることだ。姥捨て山の時代はもう終わった。今後の経済次第ではどうなるかはわからないけれど、少なくとも現在、多くの人は親殺しを「生理的に」嫌っている。

逆に、何らかの原因で、親が早く死亡すると、子供にとって大きな負担となる。

 

もちろん、先天的なこと、あるいは不慮の事故でそうなった人を責めてはならない。この記事もそういう意図はないし、子供を持っている難病の方などが自責の念に駆られるようなことはあってはならない。その件については最新の注意を払って記事を書くし、読者の皆様にも決して誤解されないように強くお願いする。

ここで注目したいのは、先天的なものや避けられない原因ではなく、避けられること、すなわち心労や肉体的疲労だ。これは、ハーネスの使用によって軽減することができる。このことは、ハーネス否定派の方も納得することだろう。そうでないと、「怠慢」などというワードは使われない。

となると、ハーネスを使わず、親が命を懸ける機会が増えたせいで、子供への負担が大きくなるという結論が導かれる。

ここまで、何も特殊な知識は使っていない。一般論を使って話を展開しているに過ぎない。変な理屈こねをしているわけでもない。

 

逆に言うと、ハーネス不要論を訴える人の多くは、この程度の考えが及ばなかったということじゃないかな。

だから、「子供を持つ気がないのにそんなこと言うな」などと批判されても仕方ないところはあると思うよ。

 

人命がかかわる場面で「命がけ信仰」は有害でしかない

世の中には、努力主義というか、とにかく命がけ、必死でやれという「命がけ信仰」というべき考えを持つ人がいる。

そういう人は、「生死をかけるほど努力して10の成果を出す人」を、「楽して100の成果を出す人」よりも高く評価する。

 

これが会社の事務作業であれば、効率の悪い人、合理的でない人、無能な人で片づけることができる(といっても、会社などの組織にとって負の効果を与えていることは間違いないが)。解雇するという手段もある。

しかし、子育てには人命がかかわっている。冗談でなく、本当の意味で、常に死と隣り合わせだ。

そんな世界において、命がけ信仰なるものは非常に厄介だ。人命主義である日本で暮らしている以上、先のツイートは、効率の問題では済まされない。

命がけという言葉を、命がかかっている世界で軽軽しく使わないでいただきたいところだよ。

 

子供ハーネス騒動を抽象化して考える

「知らない人の業務」は軽くみてしまいがち

で、この問題を抽象化して考えていこう。これで元のツイート主が炎上して、ハーネス問題が一時的に解決したとしても、なぜそういう考えがおこったか考えないと再発するし、ほかのケースに応用できない。

僕が思うに、今回のツイート主が注意すべきだった点は2つある。

まず一つ、「誰が利益を得るか?」を考えることだ。といっても、もちろん政治家の既得権益の話ではない。

例えば、この子供用ハーネスによって得するのはだれか。それは、投稿者も理解しているように、親である。しかし同時に、子供の得にもなっている。

赤の他人がみて「親の怠慢」と思うのは、親の立場でもこの立場にも立っていない、自分自身の立場でしかものを考えていない証拠だ。「ペットみたい」というのも、『それ、あなたの感想ですよね?』案件だ。感情論をあたかも一つの意見かのように言うな。

 

ただ、この投稿者だけ責めても仕方ない。私も、そして読者のあなた方も、以下の点に気を付けなければ、『ハーネス不要論』を唱えてしまう。

それは、自分と異なる立場の人の大変さは、周りからはなかなか見えないということだ。

今回、子供用ハーネスで投稿者が避難したのは親だ。親の立場になったことのある人は、日本に大勢いる。だから、その意見の過ちを多くの人が批判できた。

 

では、これが公務員、官僚だったらどうだろう。

最近になり、ようやく霞が関の大変さが明るみに出た。人口当たりの公務員数が日本は世界の中でかなり少ないというデータも知られてきた。

それでも、公務員叩きはおさまらない。霞が関職員はまだしも、自衛隊員への扱いはもっとひどい。

公務員だけではない。一般の会社員もそうだろう。社長も、与野党議員も、フリーランスもそうだろう。ホワイトな会社にいても、それはそれで何かしら大変なところがある。

 

自分と異なる立場、あるいは、自分と敵対する立場の人も、何かしらの大変さ・しんどさを抱えている。

そのことを理解しないと、いつか、自分自身が『子供用ハーネス叩き』をしてしまうかもしれない。

そうならないよう、注意していきたいね(^●ω●^)

 

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