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なぜ最高の政治家はトップになりにくいか

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はいどうも、カワウソだよ。

今の日本を含め、多くの国においては、『民主主義』が採用されている。

おそらくは、最も国民の意見を反映できるからであろう。

国民の声が届くことはいいことだろうし、これまでの独裁政治の過去を経て作られた制度だ。

 

しかし、あえて言う。日本のように、民主主義が取り入れられて何十年か経っている国において、最高最良の政治家が国の首相なり大統領なり、トップになることは非常にまれだ。

特定の人物を指しているわけではない。民主主義国家のどの国においても、ほとんどの場合あり得ない。

高く期待されて首相なり大統領なりになったのに、その支持率がずっと高いままというのはめったにあり得ない。

 

これは、国民がどうこうとうよりも、民主主義そのものに欠陥があると考えたほうが自然なのかもしれない。

今回は、なぜ最高最前の政治家はめったなことでトップに立てないのか、考えていこう。

 

『いい感じ』の政策が一番いいわけではない

『いい感じ』の政治が『いい』政治であるとは限らない

まず、思い当たるのが、マニフェストだ。

すなわち、民主主義国家においては、国のトップは、システムは違えど、何かしら「こういう国にします」と言って当選する。

それを国民の何割が読んでいるかはまた別問題なのだけれど、ともかく、この人が選ばれたらどういう国になるか、どんなところに重点を置いているか考えて投票するのが一般的だ(と思いたい)。

ただ、『いい』と思って選んだ政策が、実は『いい感じ』でしかない場合が多々としてある。

ここでいう『いい感じ』とは、短期的に考えた場合プラスになることだ。即効性があるし、有権者にとっても分かりやすい。

例えば、消費税廃止がそうだ。これを喜ばない人はほとんどいないのではないかな。その他、所得税もたばこ税も酒税も揮発油税もすべて、ないほうが負担が低くなるしうれしい。

 

しかし、一般的に「え、大丈夫なの?」と不安になる人がいるだろう。理性のある人は、多少なりとも不安になる。

国の歳入・収入がなければ、公務員の給料が払われなくなる。年金も破綻する。犯罪や災害がおきても、貧乏な人は警察も救急車も呼べない。

結果、1年もしないうちに国が破綻するだろう。

 

これはあくまでも極端な例だ。不景気の時期、あるいは今のように即時性が求められる場合は、国債を発行してでも、消費税を減税したりお金を給付したりするのも一つの手段だろう。

しかし、そういった、国民が嬉しくなるようなことばかりやると、次第にどこかでガタが来る。短期的な政策ばかりでは、どうにもうまくいかないんだ。

 

短期的に考えてプラスとなる政策と、一時的に負担となるが長期的にプラスとなる政策の両方をやっていかなければ国はうまくいかなくなるだろう。

しかし、このバランスを考えられる『いい政治家』と、短期的になんとなくうれしい『いい感じの政治家』とでは、後者のほうが人気が出ることが多い。

これが、民主主義の欠点ではないかと思うよ。

 

民主主義は、国民がめっちゃ賢い時に最高に機能する

民主主義は最大の理想論だ

民主主義は、『国民が正しい』という考えのもとに作られているシステムだ。少なくとも日本ではそうなのだろう。

そうでなければ、国民主権という憲法の柱の一つが崩れてしまうことになる。

この考えは当然正しい。独裁を許せば、権力は簡単に腐敗する。国民は常に権力を監視しなくてはいけない。

 

しかし、民主主義で最高の政治ができるかというと、そういうわけでもないだろう。

正直なところ、賢い人はそんなにいない。

自分を含め10代、20代の人は年金の大切さをよくわかっていない人がおおいだろうし、逆に70代、80代の人の多くは20代の半数以上が貯蓄ゼロであることを知らないだろう。

人間、自分の周り以外のことをよくわかっていない人が多い。おそらくこれは、時代が変わっても同じだろう。

 

もし人間がめちゃくちゃ賢くて、60代になっても「10年、20年先を考えたら年金より少子化対策にシフトしたほうがいいよね。」となったり、平均年収以上稼いでいる人が「私たちの所得税あげてもいいから貧しい人を何とかして」となればいいのだけれど、まあ無理な話だろう。

その意味で、民主主義は最大の理想論でしかないと思っているよ。

 

優れた人がトップになるには『政治家』と『政治屋』を両立しなくてはいけない

『政治家』だけでは無理

思うに、政治家は『政治家』であるだけでは偉くなれない。

おそらく官僚とか大企業でも同じことが言えるのだろうけれど、同時に『政治屋』でなければいけない。

日本のような間接民主主義では、たびたび権力闘争がおこる。

そうでなくとも、周りの政治家を説得したり、あるいは国民を説得しなければいけない。説得というよりも、ある意味で『だます』必要があるときがくるかもしれない。完全に説得できなくとも、敵に失敗するよう仕向けるとか、ドロドロしたものも必要となってくるだろう。

 

そうなったとき、どうすれば国がよくなるかを構築するだけではだめだ。やはり、人を動かす『政治力』が必要となってくる。

『政治屋』というと聞こえは悪いが、現実問題として、人を動かす際は『政治屋』にならなければいけないんじゃないかな。

 

今回はここまでだよ。

政治家と政治屋を両立する人がはやくあらわれることを期待しているよ(^●ω●^)

 

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