はいどうも、カワウソだよ。
IQが20違うと話が通じないと言う意見がある。どこかで聞いたことのある人は多いんじゃないだろうか。一般的には自分が高知能だと思っている人がマウントをとる際に使われるような気がする、あるいは、高学歴だったり頭のキレる人と比較して自虐的に使われるかもしれない。
たしかに、知能が違うと相手のことが理解できなくなるというのはなんとなく感覚としてわかる面もある。ちょっとよくわからない行動をする人を『天才肌』と呼ぶのはそういうのが関係しているのだろう。
では、果たして本当にIQが20違うと話が通じないというのは本当なのだろうか?考えていこう。
『IQが20違うと話が通じない』の真実
そもそも『IQが20違う』とは何か
そもそも論として、『IQが20違う』とはどういうことなのだろうか。これについて考えていきたい。この言葉、数字を使っていて具体的なように見えるけれど、実際のところ、これだけでは何を言っているのかあまりわからない。
というのも、IQの差異は、その標準偏差によって大きく変わるんだ。
詳しくは統計の勉強をすればわかるのだけど、標準偏差というのがある。これがいくつかどうかを設定しなければ話にならないんだ。
具体的に考えていこう。
例えばメンサ会員はIQが上位2%以内の集団だ。で、この上位2%というのをIQで表すと幾つになるか。
一般的に、IQの標準偏差は15に設定されている。この時、メンサ会員のIQは130以上だ。
一方、キャッテルというIQ検査では、標準偏差が24となってる。この場合、メンサ会員はIQ148以上になってしまう。
おなじ『上位2%』を表してるのに、一方では130、他方では148とだいぶ見える。ちなみにメディアでは数字を大きく見せるために標準偏差24(すなわちメンサ会員のIQが148以上)がデフォルトのようだ。
検査によって、おなじ頭でもIQが130になったり148になったりする。同一の結果であるにもかかわらず数値が18も違うという事態が起きてしまう。こんな状態では、IQの差異がいくらかなんていう議論自体ができない。
そこまで理解して話してるひとはそういないだろうし、そもそも命題として破綻してるのではないかと思うよ。
『話が通じない』は誇張しすぎ
さて、以下では標準偏差15、すなわちメンサ会員のIQが130以上である設定で考えていこう。多くの場合、こっちの標準偏差が使われるからね。
この場合、日本人の平均IQは105~107くらいだから、メンサ会員は平均的日本人とはIQが20離れているということになる。では、メンサ会員は一般の人と話が通じないということなのだろうか。
経験から言うと、『話が通じない』というのは言い過ぎだ。
IQが60違ってたら通じないかもしれないけど、20程度の差は大したことがない。
ロザンの2人なんてIQが30以上違う(ある関西のテレビ番組で、菅さんのIQは100、宇治原さんは148以上と判定されメンサ会員となった)。
148という数字とテレビ番組であることからこれが標準偏差24の数値だったと仮定して、それを15に直したとしても、菅さん100、宇治原さん130以上となる。これでも二人のIQは20以上離れていることになる。
で、IQが20どころか30以上離れているロザンの二人。会話が通じないという話は聞かない。むしろ、(特に関西では)仲の良いコンビとして知られている。あるいは、2人のチャンネル『ロザンの楽屋』では、2人が楽しく議論しあっている様子がうかがえる。
このロザンの例から考えると、『IQが20違うと話が通じない』というのは言えないんじゃないだろうか。
僕自身、会話というわけではないが、誰かと話していて通じないと感じた事はあまりない。「IQが20~」の主張に基づけば、僕は過半数の人と話が合わなくなるはずだけど、そんなことはない。あるいは、僕よりももっとIQの高い人がいるけれど、その人たちが話の通じない人であるとは限らない。
テレビのメンサ特集とかで、ちょっと会員が変な人という印象を受けるかもしれないが、「話が通じない」というのであれば、そもそもテレビ番組として成り立たない。やはり、IQが20離れると話が通じないというのは言い過ぎだと思うよ。
なぜ、『IQが20違うと』説が出たのか
IQよりも思考回路の違い
では、なぜIQが20違うと話が通じないなんて主張がなされているのだろうか、それについて考えていこう。
まず思いつくのが、IQが違うと思考回路そのものが変わってくるというものだ。感覚としては、思考回路が違うからIQも異なってくると言った方が正しいかもしれない。
「人間は言葉で思考する」という主張がある。しかし、僕はこれに納得していない。というのも、僕自身は図で考えることが多いんだ。言葉だけでブログを書いている身で言うのもなんだけれど、思考プロセスは言葉というよりかはイラスト、フローチャートだ。
これについてほかの人と議論したことはないのだけれど、例えば作家の森博嗣さんもまた、「思考を言葉で考えると厳密さがなくなってくる」という内容を著書に書いている。
どういう思考法をするかはひとそれぞれだろうか、個人的には図とか記号とかを使っての思考は言葉で考えるよりも処理速度が速いと思ってる。僕はだいたい記事を書くのに60分くらいかかるのだけれど、アイディア自体は30秒ほどですべて、結構細かいところまで出していて、それをうまく言語化するために60分かかる。
逆に読む側からしても、言葉は時間がかかる。この記事を読むのに2分はかかるだろうが、図とかで見せたら10秒で理解してもらえる内容だ。
また、言葉で考えると自分の語彙量を超えた思考ができなくなるんじゃないだろうか。言葉に『とらわれる』というか、そういう感覚がある。
ここから考えると、IQの高い人ほど図やイラストで考えている率が高いのではないかと思ってる。そして、図で考える人は言葉で表現する能力が乏しいことがある。ある番組でIQ188の方が紹介されていたけれど、絵は天才的な一方、ちょっと話す語彙が子供っぽいかなという印象を受けた。言葉で表現することが苦手なのかもしれない。
これは別に、図表的・視覚的な考え方が優れているというわけではなくて、メンサの入会試験などで出されるタイプのIQテストでは、図形に関する能力が求められるため、いわば『IQに有利な』考え方だといえる。
その差異のせいで、IQの高低によってメジャーな思考法が変わってくる可能性がある。
こういう点が、IQが違うと話が通じないという説を生み出したのではないかと思うよ。
IQが違うと趣味も異なる?
また、IQが異なると趣味もまた変わるのではないか、そうも思ってくる。
むしろ、IQが違うことで趣味も異なり、その結果話が合わないというのが本当のところかもしれない。
どうも、IQや学力の高い人は概して知的活動が好きなようだ。そうでない人もいるが、知的欲求を満たすのを趣味とする人は一般的にそうでない人より学力や思考力が高い。
それを目の当たりにしたのは、Quoraというサイトを知ったときだった。
このSNSはすごい。質問をとおして通じ合うアプリなのだけれど、ここの参加者がもうとてつもない人が多いんだ。メンサ会員はいるわ、東大・京大・東工大どころか博士課程、さらには大学教授までいる。英語版ではオバマ前大統領も参加していたようだ。
そしてその質問もまたすごい。
例えば、「誰もは一度は読むべき論文は何ですか?」という質問がある。こういう質問が出てくるのは、論文を読む文化があることを意味している。Yahoo!質問箱ではなかなかお目にかからない。Yahoo!質問箱やほかの質問サイトとくらべても、利用者の偏差値がたかいのを実感する。知的欲求を満たしたいなら一番いいアプリだろう。
高学歴の人がこういうサイトを楽しむ一方、平均的な知能の持ち主はあまり楽しめないのではないか。むしろ、ちょっとオタクっぽいとして敬遠するかもしれない。
プロレス番組のファンとクイズ番組のファンとの話が合わないのはなんとなく想像できるだろう。『IQが違うと~』というのは、実際のところは趣味の相違が関係しているのではないかな。
今回はここまでだよ。
IQ以外の因子も関係している可能性を考えてみようね(^●ω●^)
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