はいどうも、カワウソだよ。
世の中には、学校が嫌いな子供がごまんといる。
勉強が苦手な子が学校嫌いになるのは分かるとして、勉強が得意、あるいは理解力がとてもいい子であっても、学校が好きでないケースがある。
ギフテッドと呼ばれるような子供や、理解力の強い子、そうでなくとも知識欲が旺盛な子など、もともと勉強に素質があるような学童も、学校が好きじゃない、むしろ嫌いになる場合があるんだ。
本来勉強に向いている子が学校嫌い・勉強嫌いになってしまうのは大きな損失だ。だから何とかしなくちゃいけないのだけれど、少なくとも公立学校でそれへの対策が積極的になされているとは聞いたことがない。
今回は、なぜIQが高く勉強の素質がある人が学校嫌いになるのか、その原因を考えていこう。
学校は、ギフテッドが知識を得て理解するのに適した場所ではない
『知ってても真面目に聞かなきゃいけない』という病
IQの高い子供を学校嫌いにする原因その1が、『わかることを50分ずっと真面目に聞かなきゃいけない』ということだろう。
棋士の藤井聡太さんは、「5分でわかることをなぜ45分かけて教えるのか」と親に言ったことがあるそうだ。
藤井さんほどすごいエピソードを持っている人はレアかもしれないが、小中学生時代成績良好だった人で彼に共感する人は多いだろう。
科目にもよるけれど、小中学校の教科書で1時限ですすむのはせいぜい10ページだ。しかし、教科書を10ページ読むのに5分もかからない。当時の自分がじっくり考えながら読み進めたとしても30分以上かかることはないだろう。板書だって、書くだけなら20分もいらない。
振り返ってみれば、それに意味があったんだと気づく。大学と違って、小中には受験がない。だとすれば、できない子がいても当然だ。そして、たいていの場合、授業はその『できない子』、より正確に言うと、真ん中よりちょっとできない子に合わせるのが普通のようだ。だから、ある程度以上できる子にとって、授業は落書きの字かと化す。
しかし、どうも、内容を理解していても授業は真面目に聞かなきゃいけないらしい。
中学の理科(生物)の授業で。膀胱が尿をためる器官であるという説明を先生がしていた時。この臓器は尿を無限に貯められるわけではなく、トイレを我慢しているときに急激な刺激を受けると破裂するのだそうだ。それで、車中でトイレを我慢していた人が、後ろから車を当てられた拍子に膀胱を破裂させたという話をしていた。
当時、話半分に聞いていた。たぶんノートに一生懸命落書きをしていたと思う。それが見つかったのか、先生がこう叫んだ。
「話聞いてんのか、●●!
…お前で実験したろうか?」
生徒の膀胱を破裂させる脅し、間違いなくパワハラだ。こういう言葉は当時なかったし、そもそもあっても訴える勇気はなかっただろうけれど、今許されるならばこの教師の名前を公表してやりたい。
びっくりして、あの時のことはいまだに覚えている。
授業を理解していないのに聞かないのはよくない(それでもパワハラはダメだが)。しかし、僕は内容を理解していたから授業に集中しないでいたのであって、それで怒られたのははっきり言って理不尽だ。(僕は理数系で、生物は好きではなかったがそれでも成績は良かったと記憶している)
授業より短い時間で理解できる。しかし授業は真面目に聞かなければいけない。こういう環境だと、学校や勉強が嫌いになるのも当然ではないかな。
『知識は学校で学ばなければいけない』という病
記事 『偽者』高IQ者の見分け方でも引用させていただいた、幸田直樹(Trplex世界記録保持者)さんもまた、学校にトラウマを抱えている高IQ者の一人だ。
小学生の頃、授業で人間の臓器を答えさせる質問に対して、先生の指が十二指腸にあったので「十二指腸」と答えたら、みんなの前で授業で習ってないことを答えることがいかにダメなことか(知識をひけらかすんじゃありません)散々晒されてトラウマに。まぁ普段から生意気に感じられてたのでしょうが。
— 幸田直樹 (@Naoki_Kouda) July 31, 2019
これに似た経験を持つ人は多いだろう。知識を教える場の学校で、知識を披露したら叱られる。
今は、というか、おそらく昭和の終わりごろにはすでに、学校以外の場所で学校知識を得る場所はあったはずだ。進研ゼミがその例だし、学研まんがなどで学んだ人も多いんじゃないかな。
あるいは、小学校の知識であればテレビや新聞を見ていれば耳にする機会がある。その言葉を親に聞いて意味を知る人もいるだろう。
しかし、どうも学校教員の中には、自分たちで教えなけ得ればいけない、自分が教える前に知るのは許せないと思っている人がいるらしい。
こういう教員がいれば、学生は知識欲をなくしてしまい、受動的な子を育ててしまう。そうなると、知識に積極的な子はむしろ嫌悪感を抱いてしまうだろう。一体、学校がどんな子を育てないのかまるでわからないよ。
ギフテッド教育の早期実現を!
『必死に考えなきゃできない』を早期に学ばせなきゃまずい
上に挙げたことが原因で、本来は勉強の素質がある子が学校嫌いになるケースはごまんとある。
人材育成の観点からしても、こういう事態はなるべく避けたいだろう。
そこで、僕は公立学校もギフテッド教育を行ったほうがいいと考えているよ。
勉強の素質がある子が勉強嫌いになるのは国とって大きな損失だし、それ以外にももう一つ理由がある。
それは、ギフテッドは、ギフテッド教育によって、『頑張らなきゃできない』という経験を得なければ後々まずいことになる恐れがあるからだ。
ギフテッドの子は、一般的に、小学校・中学校のある時期までは努力なしで好成績がとれる。しかし、それがかえって問題となる。また、高校でも、そこまで努力は要しない。
この時期に努力の大切さを知らないでいると、大学に入学してから大変なことになる。
少ない努力量でもある程度の大学は合格できるけれど、実際入った後が大変だ。
学部にもよるけれど、勉強することが前提となっている授業があるんだ。ここでつまずくギフテッドが出てくる。努力の方法を知らなかったり、そもそも長い時間努力ができなかったりする。その結果、いい成績が取れず、留年や退学になってしまうこともある。僕自身、中退・留年の両方を経験した身だ。自分では、これが幼少期の努力不足が一因だと思っている。
『十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人』という言葉があるけれど、『努力してようやく理解する』という経験がなければ、大学生になってから大変苦労する『元』ギフテッドの子が出てくるのではないかと危惧しているよ。
今回はここまでだよ。
『できない子』のケアも当然必要だけれど、これからは『できる子』がより自分の才能を伸ばせるような社会になってほしいな(^●ω●^)
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