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高IQ者の社会貢献についてメンサ会員が考える;知能のノブレスオブリージュについて

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はいどうも、カワウソだよ。

世の中には、自分の能力を使った方がよいという意見がある。いわゆる『ノブレス・オブリージュ』というやつだ。日本語訳すると「貴族の義務」。日本には制度上の貴族は存在しないが、金持ちだったり高学歴だったり、とにかくほかの人にはないものを持つ人はそれを社会に貢献しなさいという道徳的な教えだ。

確かに、お金を持つ者、あるいは知識や技能を持つ者がその所持するものを利己的に使ってしまうと格差社会につながりかねない。それは長期的、全体的に見てよい結果を生み出さないだろう。このノブレス・オブリージュを完全に肯定するのも問題だろうが、ある程度うなずける部分はある。

 

今回、これを知能においてみていきたい。

すなわち、メンサ会員などの高IQ者は、その高い知能を社会のために生かすべきか否かということだ。

今日は、知能のノブレス・オブリージュについて考えていこう。

 

ノブレス・オブリージュとは

権力の保持には義務・責任が伴う

IQのノブレス・オブリージュを論じる前に、そもそもノブレス・オブリージュとは何だったか、復習しよう。

デジタル大辞林には、以下のように載っている。

《「ノブレスオブリージュ」とも》身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意。
コトバンク ノーブレスオブリージュ

響きから察せられるように、もともとはフランスの言葉だ。

『身分の高いもの』とあるけれど、じゃあ法律上の貴族身分が存在しない日本ではやってはいけないかというと、そういうわけでもない。

日本にも、ヨーロッパのそれとは違うがある程度存在しているだろう。震災が起こればほぼ自発的に大企業は寄付する。最近ではYouTuber(主にHIKAKIN)も寄付をして話題を呼ぶことが多い。

この言葉を使うかどうかは別として、ノブレス・オブリージュの感覚時代は日本でも共有されるものではないかな。

 

ノブレス・オブリージュはなぜ必要か

では、なぜそのノブレス・オブリージュが求められるのか考えていこう。

凄く短く言えば、この考えは、社会が機能するために必要なんだ。

もし、昔の貴族、あるいは今でいう高学歴者・高収入者が自分勝手なことをすればどうなるか。おそらく長期的に見てよい社会にはならないだろうと思う。

金持ちが寄付をしなければ格差が広まり貧乏な人が増える。官僚が私欲のために自分の知恵を働かせたら、国がうまくゆかなくなる。

 

金や権力・あるいは知名度もそうだろうが、そういうものを持っている人が社会に与える影響は大きい。だとすれば、彼らが献身することで、社会全体が救われる。

もちろん、だからといって持たざる者が勝手なことをしてよいわけではないのだけれど、とにかく、影響の大きい人が道徳的に正しいことをすると社会がうまくいく。そのために、ノブレス・オブリージュは必要だ。

 

知能のノブレス・オブリージュについて

社会機能の観点で言えば、貢献した方がいい

では、以下、高IQ者は社会貢献すべきかについて考えていこう。

僕のブログにも、高いIQを社会に役立ててくださいというコメントが来たことがある。応援と受け取ったが、これについて実際のところどうなのか、みていこう。

まず、社会がうまくいくかどうかで言えば、IQが高い人が何かしら頑張った方がいいというのは想像に難くない。台湾のIQ160のIT大臣がコロナ騒動で話題を呼んだけれど、論理的思考力や数学の能力に優れた人が(特に危険下において)国のためにその頭脳を活かすのはメリットが大きい。日本でも、IQ160とは言わなくとも、専門家の意見を柔軟に受け入れて総合的に判断できる程度のIQを持つ人が大臣であった方が望ましい。さらに、それが私欲より国益を優先させるのであればなお望ましい。

社会機能の観点から言えば、知能の高い人が国や国民のために頑張った方がいい。これは多くのひとが納得することだろう。

高IQなことで社会から受け取るものは多くない

ただ、正直なところ、高IQ者がその能力によって社会から受け取るものはそう多くないのではないかとも思っている。

すなわち、高学歴であればよい会社に入り高収入を得る可能性が高い。しかし、高IQであれば高収入という図式は成り立たない。

学歴なんて関係ないという声はあるが、それでも少なくとも、学歴と収入は、IQと収入よりも強く関係しているだろう。メンサ会員の求人というのもあることはあるようだが、リクナビほど活発ではない。

だから、ここでだからというのも論理的なつながりからすればおかしいだろうけれど、だから、高IQであれば無条件で社会に貢献しろというのはなかなか言えない。

いわば、背の高い人が社会に貢献しろといわれているのと似た感じで、背の高いことで得することはあるだろうけれど、それを直接の理由としてノブレス・オブリージュを出してくるのは違う。

また、身長2メートル越えは下手すると180センチの人ほどはモテないかもしれない。それと同じ(?)ように、IQも120を超えると得よりもむしろ生きづらさとか苦しさとかを感じるようになる。

その辺を考えると、高IQ者に何かを強いるのは、僕の賛同できるところではないよ。

 

義務感から解放されたほうがかえってうまくいくかもしれない

それでもIQを活かしたいのであれば、むしろ貢献とかそういうプレッシャーをかけないほうがいい。

実体験的に言えば、集中しないほうがかえってよい結果になることが多い

あんまり、頑張ろうとしないほうがむしろ高IQ者はそのIQを活かせる。ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英博士が小林益川理論の骨を思いついたのは湯船につかっていた時だというが、それに近いものがある。リラックスした方が、よい結果につながるのではないかと思うよ。

 

高IQ者を役立つ人材にするには、一般的なやり方とはむしろ逆で、変なプレッシャーを与えず、あえて言うなら『何もさせない』をさせることがかえって近道なのかもしれないよ。

 

今回はここまでだよ。

高IQのニートみたいなのを見ても、それを叱責しないほうがいいと思うよ(^●ω●^)

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