はい、どうも。カワウソだよ。
沖縄に、日本中を騒がせている小学生がいる。
それが、自称革命家の中村逞珂氏(11)通称『ゆたぼん』だ。
中村氏は動画の中で、「不登校は不幸じゃない」と叫び、また子供だけが乗れるピースボートを作りたいとも供述している。
で、中村氏が不登校になった経緯をざっくり言うと、以下の通りだ。
ある日、宿題をやらなかったら先生に殴られた。また、友人には「宿題をやらないヤツとは遊ばない」といわれ、「話が違うちゃないか」ということで不登校になった。
Y氏は、先生のいうことをはいはい聞いて宿題をやる友達がロボットに見えてきて、宿題をやれば自分までロボットになりかねないと危機感を覚えた。
「不登校は不幸じゃない」 10歳のユーチューバー、中村逞珂さんが世界に発信 /沖縄
彼のアップロードする動画が一種の炎上のようになり、2019年5月現在、動画の平均高評価率は3%。マスオTVもびっくりの数字となっている。
今回は、中村氏の動画を中心にして、不登校は不幸なのかどうかについて、そして、彼の活動そのものについてかんがえていくよ。
不登校ユーチューバーの動画を見た感想
ところどころ不自然なところがある
まず、彼の動画を見たんだけれど、正直に言う。不可解な点がいくつもあった。
一言でいえば、すごく不自然だった。
まず、動画内で中村氏の言っていることが正しいとするならば、僕がその立場であっても不登校になっていただろうと思う。
具体的には
・宿題をやらなかったら殴られる
・宿題をやらなければ同級生からも「宿題してない奴と遊べるか」
この2点だ。
まず前者について。
これは、もしかしたらあり得るかもしれない。
僕の通っていた小学校では暴力はなかったし、まったく信じてはいないのだけれど、しかし暴力を受けた可能性はゼロではない。まあ、もし本当だとして、中村氏の親が教育委員会などに訴えていれば、その真偽はあきらかになるだろうね。
そして、より不自然なのは後者、すなわち、「宿題しないやつとはあそべない」といった学生だ。
先生は厳格でかつ昭和時代風だったかもしれないけれど、学生の側が自発的に「宿題をしないやつとは遊べない」っていうのは、あまりにも不自然すぎると思う。
真面目の上に馬鹿がつくような、それこそ『ロボット』のような学生がいる可能性もあるだろうけれど、どんな学校であっても、クラスメイト全員がそんなロボット学生な可能性はほぼゼロではないだろうか。
氏が通っている(いた?)学校がどのくらいの規模かはわからないけれど、10人いれば彼以外にも一人くらいは不真面目というか、宿題をやらない学生もいるだろうし、その子と遊べばいいのではないかなと思ったよ。
中村氏の動画を見た感想としては
・言っていることに不自然さを感じる
・本当だとすれば、相当特殊な学校だろう
だよ。
とるべき手段は不登校より転校では?
上でのべたことから見て、中村氏の通う学校はおそらく公立の学校ではなく、私立小学校ではないかと推測するよ。
それは良いとしても、とにかく相当特殊な学校のようだ。
で、そんな特殊な学校が嫌になったら、どうするだろうか。
僕なら、転校する。不登校になるかもしれないけれど、中村氏のような積極的不登校児にはならないだろう。
この件に関しては完全に個人とその親の性格が関係しているから何とも言えないのだけれど、彼の情報から判断すると、不登校以外にも、転校という手段もあったのではないかと思っているよ。
なぜ転校せず、不登校という、言ってしまえばハードモードな道を歩んでしまったのか、その点で理解に苦しむよ。
不登校全体に言えること
「不登校は不幸じゃない」10歳のユーチューバーが世界に発信 → 高須院長「お化けの世界で遊んでいると常識知らずになります…」 https://t.co/zqCoN0NJ1w @sharenewsjapanから
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) 2019年5月5日
条件付きでなら不登校も歓迎される
さて、今まで言って生きたことは「不登校ユーチューバー中村」氏に対しての感想であって、不登校の小中学生全員に言っているわけではない。
つまり、僕は不登校そのものを否定しているわけでは決してないんだ。
条件さえ大丈夫なら、不登校を経験していても全く問題ない。むしろ、他人と違う経験をしているということが、将来大きなメリットになる可能性だって十二分にある。
では、その条件とは何かというと、「義務教育で習う分野を学習すること」だ。
たとえば、欧米では普及していて、日本でも徐々に広まりつつあるホームスクーリング制度を利用する。
たとえそういう制度を利用しないとしても、自分で教科書をよんだり問題集を解いたりして、自分で勉強すれば、学校に行く必要はない。
問題があるとすれば、体を動かす機会を作るのが難しいということだ。
そこは、地域のスポーツクラブに参加するなどしないと難しいだろう。
しかし、勉強については、特に問題はないかなと思う(親などによる計画管理は必要だけど)
いくつか問題はあるけれど、部分によってはそちらの方がいいところもある。
日本の多くの公立学校では、めっちゃくちゃ理解度の高い子であっても、高レベルな内容の授業を受けることは不可能に近い。
いわゆる飛び級の制度が確立されていないんだ
そういう子にとって、授業は死ぬほど退屈だろう。
将棋棋士の藤井聡太さんは、5分で理解できるようなことをなぜ45分かけてやるのだろうと疑問を抱いたそうだけれど、彼のような天才にとって、授業の時間はムダでしかない。
そういう人にとっても、逆に、ゆっくり理解するようなタイプの人にっとっても、登校せず、自分のペースでずんずん進んだ方がいいんじゃないかな。
僕自身、不登校ではなかったものの、勉強は自分のペースでやったしね。
すなわち、独学で学校の内容(道徳をふくむ)をすすめていくという条件さえ満たせば、不登校だって問題ないのではないかと思うよ。
不登校ユーチューバーに伝えたいこと
学校に行きたくても行けない子のことも考えて
上に挙げたように、不登校そのものは不幸ではない。
其の点は、中村氏と共通の認識を持っている。
ただ、僕の想定する不登校児と、彼の思っている不登校児とには一つ違う点がある。
それは、ぼくは「学校に行きたくない子」と「学校に行きたくても行けない子」の両方を想定している一方で、中村氏が「学校に行きたくない子」しか考えていないという点だ。
中村氏は動画の中で、「学校に行きたくないのに、親に無理やり行かされている子」のことは触れているが、「行きたいのにいじめなどが原因で行けない子」のことは、具体的にはふれていない。
不登校ユーチューバーを名乗るのはいいけれども、そういった、いじめが原因で、行きたくても行けない学生についてもう少し考えてもらったらなと思うよ。
「不登校は不幸じゃない」
— 🧠メンタルドクター👨⚕️Sidow@精神科YouTuber (@dr_sidow) 2019年5月9日
それはその通りです。
ただ、不登校の議論は本当は学校に行きたいけど行けない子の障壁をどうやって解決するか、大人や社会が考えてシステムを作る必要のある問題だと思います。
行きたくないなら行かなければいい、というのは思考制止であり本質的な解決ではありません。
自由は責任とワンセットだと意識しよう
最後になるけれど、僕は中村氏の活動は否定しない。
自分の子供にはこうなってほしくはないし、こういう奴とは友達にはなれないけれど、それでもやめるよう進言はしない。
というのも、日本は表現の自由が保障されているから。表現の自由を行使しているという点では、このブログも同じことになるだろう。
しかし、これだけは意識してほしい。
自由と責任とはワンセットだと。
ユーチューブやブログはまさにその具体例といえよう。
いわゆるサラリーマンと比べて自由に発信できる。「まだ東京で消耗しているの?」といってもクビにならない。
しかし、その分なにかあった時、責任は自分で取らなければいけない。
登校することは確かに不登校と比べて不自由かもしれない。
しかし、その分、確実に勉強できて、栄養バランスのとれた給食が取れる。もしそうでなかったら学校や教育委員会が責任を取る。
不登校では、そうはいかない。
不登校で毎日マクドナルドに通って肥満になったとしても、その責任を学校に求めるのはちがうだろう。
自由は責任とともにある。
そのことを中村氏には意識してほしいし、僕たちも覚えていかなきゃいけないね。
本日はここまでだよ。
ご視聴、ありがとうございました(^●ω●^)
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