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【ひろゆき】論破がうまい人が頭がいいとは限らない

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はいどうも、カワウソだよ。

論破という言葉がわりと使われているこの頃だ。TwitterなどのSNSでとりわけ、なんとかして相手を論破しようとしているやりとりを目にする。

しかし、一つ気を付けなければならないことがある。

それは、「頭の悪い人を論破することはできない」ということだ。

 

こ子から逆に、「論破がうまいからといって、頭がいいとは限らない」ということも言える。

今回は、この当たり前のことについて再度確認をしていき、どうすればそのような「論破不可能な人」を自分の思い通りにしていけるか考えていこう。

 

論破可能なのは自分と相手の頭が「そこそこ」優れているときのみ

バカは論破できない

これは、ある本に書かれていた逸話だ。たしか詭弁法について書かれていたものだったと記憶しているけど、なにせ立ち読みしていたので詳しくは覚えていない。

話は以下のようなものだった。いわゆる現在でいう「寝取り」のような、他人の奥さんとなんのためらいもなく交際する男(A)がいた。そこに、その友人(B)が注意するのだけど、どうも話が通じない。というのも、Aは「他人の立場になって考える」ことができないんだ。

 

B「Aさ、自分が嫁さんもらって、それで別の男が嫁さんにいろいろしているのを考えたことあるのか?」

A「なんで俺が嫁もらっているのを想定しなきゃなんねえんだよ」

B「そりゃ、相手の身になって考えてみろよ」

A「相手の身になるつったって、何になるんだ。俺が飯食ったら俺の尻からウ〇コが出るだろ。俺が飯を食べてお前の尻からウ〇コでるわけじゃないだろ。お前は何を言っているんだ」

B「・・・・・・」

 

とまあ、こんな感じだ。もとは確か江戸時代の落語かそんな話だったのだけれど、なかなかの屁理屈を言って、相手の身になって考えることをしようとしない。

中には、わざとこういうふりをして論破する人もいる。というのも、こういう誰もが常識だと思っていることに疑問を投げかけると、それを説明することは難しいからだ。ソクラテスのやった「無知の知」もこれに近いものがある。

だけど、天然でこういうことをやる人がいる。そういう種類の人は、説得するのが極めて大変なんだ。

頭が悪いと議論に強い

議論においては、「論点ずらし」という技がある。相手が気づかないうちに論点をずらして、自分が有利にしようとするすべだ。朝生などの討論番組に出ている人はたいていこのスキルを使うのがうまい。

論理的思考力が弱い人は、「論点ずらし」を使うことができる。いや、使ってしまっているといった方が正しいだろう。頭のよくない人は、無意識のうちに『論点ずらし』という最強の論破術を手に入れているんだ。

 

論理的に間違っていることに気づかないから、平気で論点ずらしを行える。

真面目な人は、この「論点ずらし」を嫌がる。本来有効な手ではあるし、よく使われる手段なのだけれど、これを使いたくない人もいる。

けど、そもそも頭の悪い人は自分の論点がずれていることに気づかない。指摘されても、「本気で」ずれていることに気づいていない。

「なんで論点ずらすんですか?」と指摘しても、「いや、ずれてないですよ」と反論する。意図的にずらしているのであれば表情にでるのだけれど、本気で気づいていないので、嘘をついているという顔にもならない。本人からしたら嘘をついていないから、顔に出ようがない。

こちら側が意図的に論点ずらしをして優位に立とうと思っても、相手側が(無意識のうちに)またまた論点をずらしてしまうことがある。

そういうこともあって、論理的思考力のない人と議論しようと思っても、かなり難しいことなんだ。

 

世の中の大多数は完璧な論理的思考力を持たない

「頭が悪い」は少数派ではない

さて、ここまでさんざん「頭が悪い」だの「バカ」だの言ってきたけれど、これは僕自身そういうたぐいに入っている。ブログでの主張はたびたび指摘されるし、何度も間違えたことがある。おそらくこれからも間違うだろう。

では、僕が社会全体の中で極めて劣っているかというと、そういうわけでもない(と信じたい)。論理的思考力が必要とされるIQテストで上位2%以内の成績を収めているし、その辺は少なくとも平均以上ではあると自負している。

ただ、それでも、ミスはする。僕なんかよりもはるかに頭のいい人でも、「これはどうなの?」という発言をすることが多々としてある。

「考える能力がある」からといって、「常にその能力をフル稼働させている」わけでもないし、ある事柄に対して強い感情を持っている場合は、論理的整合性よりも自分の思いが優先してしまうことがある。

特に、後者の理由で「アホ」になってしまう事例は、テレビやネットの番組を見ていてもよくある。有名大学の教授が、明らかにデマだと思われるような、整合性も何もない主張をすることだってある。

 

なぜ『冷笑系』は強いのか

論破で有名な人は、この点を理解しているようだ。とある、ネットで有名な論破王・ひろゆき氏も、「相手を怒らせたら論破は簡単」という旨の発言をしている。

これは多くの人が納得することだろう。キレながら論理的に話すのは難しい。感情と論理を同時に扱うのは至難の業だ。世界まる見えで、イランかどこかのテレビ番組が紹介されていたのだけど、そこでは2人が議論して、怒って帰ってしまったら負けなのだそうだ。「怒らせたら勝ち」という文化は国外にも存在するようだ。

学者として結構高名な人の中にも、ツイッターではかなり感情的で非論理的な文章を書く人がいる。そういう人は、自分がキレているゆえに「アホ」になっていることに気づいていないんじゃないかな。

 

もしかしたら、いわゆる炎上商法なるものも、これを活かしたものかもしれない。

「まだ東京で消耗しているの?」なんていうブログは、正直読まなければいい話だ。大臣の発言ならいさ知らず、ひとりのブロガーのブログでしかない。あるいは、少なくとも東京23区あたりで働いている人以外には本来関係ないことだ。そんな人の煽り文句に貴重な人生の一部を費やすのはもったいない。

それを、まったく無関係な人がいろいろ意見したところで大したメリットはない。むしろ、アクセス数が上がったり話題になったりして、冷静に考えればブロガー側の利益になってしまう。

しかし、炎上ブロガー・ユーチューバーは、あおることで、読者を怒らせる。そうすると冷静な対応ができなくなってしまうから、彼らの言葉でいうところの『養分』になってしまうんだろうね。

 

人間が感情を持つ生き物である以上、どうしても「頭が悪くなる」瞬間は生まれる。そういうときに何か主張をしたら、それが「論破不可能」な「感情にまかせた」ものになりうるんだ。

逆に言うと、相手を怒らせて、かつ自分は冷静でいるような、『冷笑系』と呼ばれる人は比較的論破に強いのかもしれない

実際、『冷笑系』と検索すると、論破王・ひろゆき氏をその代表例として扱う記事を目にした。

自分は感情に左右されず、かつ相手の感情を揺さぶるのだから、論破がうまいということになるんだろうね。

どうやれば相手を説得させるか

説得より、共感

では、このような、論点のずれに気づかない人と意見が対立したときは、どうすればいいだろうか。

僕が思うのは、「共感」「賛同」だ。

理性ではなく感情に動かされているのであれば、その感情をうまく操った方がいい。

とはいえ、全部賛同してしまうと、相手のおもうままになってしまいかねない。そのため、一部だけ賛同することが望ましい。

「この部分では意見が一致していますよ」というのを示せば、相手も気を許して、多少意見が違っていたとしても耳を傾けてくれる確率が高まる。

 

印象で動いている人に対しては、印象で対応しよう。

当たり前のことかもしれないけれど、これを意識しておくと、日常生活がちょっと楽になるかもしれないね(^●ω●^)

今回はここまでだよ。

 

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