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【自慢以外なくない?】Twitterのbio欄に自分のIQを書く意味【ありません】

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はいどうも、カワウソだよ。

IQが高い人というのがいる。脳の作りはひとそれぞれだから当然のことだ。ただ、この高知能の人たちの一部には、とある奇妙な共通点がある。

それは、自分のIQ値をTwitterのbio(プロフィール)欄にかくという点だ。

「IQ145 (sd15, CAMS)」みたいなことを書いている人もいる。こういう人はたいてい、sd=15でIQ140とか160台とか、MENSAを余裕でクリアできるスコアの持ち主だ。

何を隠そう、僕自身この一人だった。つい最近まで、CAMSというハイレンジテストの結果を書いていた一人だ。

しかし、あるとき思った。TwitterでIQの値を書いたところで大した意味はないのではないかと。

今回は、高知能の人がTwitterのbio欄に自身のIQスコアを書くことの意味について考えていこう。

 

IQスコアはたいして自慢にならない

IQの高さが売りになる世界は限られている

まず、知能の高い人がなぜ自分のIQをTwitterで書くか考えていこう。

結論を言うと、おそらく自慢か、あるいはつながりを求めるためだろう。少なくとも、何かビジネスに役立ったり、信用が上がったりするというような、『実用的な』ケースはあまりない。

Twitterのbioの書き方もいろいろあるけれど、要はその人がどういう人間かを表す場であることが多い。好きなものや人・意気込みを書いたり、自分の所属する組織や経歴を書いたりする。

IQスコアは、少なくとも好きなものや意気込みの部類ではない。どちらかというと、保持する資格とか、経歴や学歴と近いものがあるのではないかな。

だとすれば、それを明記することで、何かを利するということはほとんどない。せいぜい、同じような高知能者とTwitterでつながれるだけだ。

 

学歴や資格は、bioに書いておいて損はない。なんとなく、東大出身と書いておけば、それは売りになる。ここでいう「売りになる」とは、必ずしも金・ビジネスになることを意味しない。Twitterで何か発言する際、それを書かないよりも肯定的に捉えられやすいという意味も含む。好印象に見られやすい。資格も同じで、英検1級を取得していると、そうでない人と比べて英語関係のツイートやnoteに説得力が生まれる。それらの中には必ずしも合理的でないものも含まれるのだけれど、それでも騙される人が一定数いるんだ。

ただ、IQがそういう役割を果たせるかというと微妙だ。資格と同じでIQとか知能とかに関する発言においては説得力が増すだろう。関係しているかどうかわからないけれど、このブログで安定して読まれている記事の内容は、どれもメンサとか知性とかに関するものだ。同じように、例えばハイレンジテストを作ったり、あるいはIQに関するブログや動画を投稿している人であれば、IQ値を書いた方が説得力が増すだろう。

ただ、それ以外の人はどうか。

少なくとも、何かを主張するとして、説得力が増すものではない。もちろんその意見自身が十分論理的に正しさを持っていれば関係ないといえばないのだけれど、IQの値をbioに書くことで、信頼が増すわけではない。

昔、とある記事で「学歴の高い人は理屈っぽい傾向がある」ということを書いたことがある。そのさい、猛攻撃を食らった。それも、なにか適格な批判というよりは、「IQが高いだけで、学歴の高い人に嫉妬しているのがキモイ」という感じの文を長々と書いた、中傷と判断されるべきものだった(ブログを書いて最初でかつ最もひどいものでありあまりに衝撃的だったため、詳細は忘れてしまった。現在は削除済み)。

おそらく、逆、すなわち「学歴が高いだけでIQの高い人に嫉妬している」というようなコメントはおそらくないだろう。また、「IQ100の東大生」と「IQ170の中卒」であればおそらく前者の方がなんとなく信頼されると思う。

自分の個人的な体験からの判断になってしまうのだけれど、IQに直接かかわる世界以外において、IQスコアをTwitter等のプロフィール欄に書いて得をすることはほとんどないと思うよ。もちろん、本人の自己満足なら止めはしないけれどね。

 

高知能同士で楽しみたいなら所属組織を書けばいいだけ

IQスコアは検索されない

また、高知能同士でつながりたいためにIQスコアを書くという場合もあるだろう。しかし、そのケースにおいても、「IQ156です」みたいに書く意味はそんなにない。

例えば高IQ同士でつながりたいんだったら、MENSAとかMETIQって書いたほうがいい。そちらのほうが、プロフィールを検索した時に引っ掛かりやすい。CAMSなどIQ検査名で調べるという手もあるだろうけれど、そういうテストで高得点を取っている人はたいていの場合メンサやMETIQ等の組織に入っている。知能の高い人を探すのであればそちらの方が効率がいい。

で、Twitterのbio欄には文字数制限がある。で、IQをある程度正確に書こうと思うと割と文字を消費してしまう。たいていの場合、検査のsd(標準偏差)と検査名を書くからだ。「IQ148.7 (sd15,CAMS)」であれば、カッコや句読点を除いても15文字使うのだけれど、「MENSA」なら5文字で済む。「METIQ」も5文字だ。

検索されない、かつ文字数を食うような情報を書く、しかもそれが他人からの信用をあげるものではないとするならば、やはりたいして意味はないのかなと思うよ。

 

今回はここまでだよ。

IQの値というのは結局のとことろ偏差値だ。bioで「駿台模試偏差値75」のようなことを書いている人はあまり見かけないけれど、IQについては結構な数の人が書いていて、それが不思議だったからこの記事をかいてみたよ(^●ω●^)

 

 

追記・スコア自慢への反論はコンプレックスか

 

この記事を投稿して、ツイッターで以下のような反論を頂いた。

私が初めてCAMSのスコアをアップしたときは「上限180だし,上はもっともっとたくさん居るのだろう」と想定していました。
これを「自慢」ととる方もいらっしゃるのだと知ったが,受け手側のコンプレックスの問題では?と感じた。

CAMSのスコアは,私の現在の人間関係に間違いなく大きく影響している。

これについて、以下反論させていただく。本来はブログ記事として公開するべきではないかもしれないけれど、現在相手側にブロックされていることもあり伝える手段がないので、記事に追記する形で書いていくよ。

まず、少なくとも僕は、IQをTwitterのbioで書くことを自慢だとはとっていない。書き方が悪かったから誤解されたのかもしれないけれど、一般的なTwitterのbioの目的から推測した結果として「自慢」と「つながり」の可能性を示唆し、仮にもしそうだとしたらあんまり意味ないよねと書いているだけだ。「ツイッターでこんなこと書いているのは自慢だ!」ととらえているわけではない。

また、逆質問みたいな感じになってしまうのだけれど、こういう記事を「コンプレックス」ととらえる人がいたことを知れたことは、僕の中で気付きだととらえているよ。少なくとも僕自身はコンプレックスを抱いたことはない。この人と同じく、上はもっといるだろうという思いだ。そもそもIQにコンプレックスを抱いているなら、メンサで活動なんかしていないし、もうちょっと過激にブログでIQや高知能者のことをこき下ろしている。

上のように考えていくと、僕の立場から見たとき、当記事であげつらっているようなことをしている人の中には、低知能者は高知能者を嫉妬しているだろうという思い込み、あるいはそのたぐいの願望があるんじゃないかと思ってしまうよ。

僕のCAMSにおけるIQは138.9でこの人よりは低いし、僕より高いスコアの人はたくさんいるのだけれど、かといってコンプレックスに思うほど低いスコアというわけではないととらえている(笑)。

もちろん、スコアが大きく影響している人間関係を否定するわけではないのだけれど、やはり「流動的な数字が影響する」というのはどうかと思っている。医学的な知能検査だと90%信頼度というのがあって、10回受験して9回はこの範囲に入るだろうという範囲が示される。その日の体調なども関係しているから、必ずしも一回受験したスコアがその人の正確なIQというわけではない。ちょうど学力偏差値と同じようなもので、「毎回受験していつも偏差値75以上」というのには意味があるだろうけれど、「第一回東進模試で偏差値78」というのはさほど大きな意味はないだろう。

その意味で書いたのだけれど、うまく伝わらなかったのは残念だよ。

 

また、この「高IQを自慢ととらえるのは受けてのコンプレックスの問題」という箇所で、この受け手が僕以外の人という可能性もある。すなわち、何かIQについてコンプレックスを抱いている人がひがみで、「IQ書くのは自慢だ」といっているという可能性だ。

たぶんだけど、そういう人はいる。学歴コンプレックスの人は「東大卒」って書いている人をなんとなく敵視するだろうし、身長の低いのがコンプレックスの人は「身長180cm」とbioで書いている人をうざったく思うだろう。それと同じで、IQにコンプレックスがある人が、Twitterのbio欄にIQを書く人を嫌う可能性は十分ある。だぶんどこかにはいる。

ただ、そういう内容は、記事とは直接関係ない。上で書いたことは、「客観的に考えれば自慢とか、つながりをもとめるとか、そういうのしか可能性としてのこらない。仮にそうだとすればあまり効果はよくない」という、あくまで仮定にもとづいたうえでの話だ。自慢ととらえる人が実際にいるかどうかについて言及はしていない。そうとらえる人はいるだろうけれど、そこについてこの記事では議論していない。そのため、ちょっとかみ合わないところがあったよ。

ちなみに、このしんしさんは高知能のグループの設立者だそうなのだけれど、僕はこの記事において、「IQのブログだったりハイレンジテストを作ったりする人にとってはIQの表記は意味がある」と書いている。自慢とか書いているのは「IQとかかわる業務をしている人」を除く場合であって、その意味で僕は、彼が自慢やつながり以外の意味でIQスコアを書いている場合を否定していない。

すなわち、反論しているかのように見えて反論ではないのだ。僕の記事の内容と彼の意見は整合しているんだ。

ただし、この方と同じような解釈をする人が再び現れる可能性を考え、本来僕が言いたかったことを説明する補助としてこのツイートを引用した次第だよ。

 

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