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【無知がばれる】安易にレッテルを貼る人は残念だという話【逆方向に行く】

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はいどうも、カワウソだよ。

この世の中には、レッテル貼りをする人が少なくない。この記事を書いているときも、そのレッテル貼りに関して一部で問題となっている。

それが、以下のツイートだ。

 

このツイートを見た人は、国民民主党の玉木雄一郎代表が検査スンナ派、すなわちPCR検査に反対派のネトウヨ(ネット右翼)だと思うかもしれない。

しかし、実際は逆だ

事実は、むしろ、玉木氏はこれまで検査拡充を訴え続けていたという。

 


つまり、この愛国心の足りない怠け者氏は、玉木氏に関するデマをばらまいたわけだ。

なお、投稿から2日経っている現時点で謝罪や撤回のツイートはない。

PCR検査の是非についてはここでは議論しないし、国民民主党の是非もここでは考えない。今回取り上げたいのは、自分と異なる意見の持ち主を「ネトウヨ」などとレッテル貼りして、挙句の果てにその相手が本来と真逆の主張をしているかのように書いている点だ。

最近は、このような投稿をする人が少なくない。自分と反対の政治的態度を取る人間の主張は、自分の主張と全部違うと思い込んで書き込んでいる。意図してか知らずかは分からないが、いずれにしても、相手にとって実害をもたらしている。

今回は、この愛国心のない怠け者氏の例や、僕自身が経験したことを踏まえて、レッテルを貼る人がいかに残念か考えていくよ。

 

 

実際と逆のレッテル貼りをする例

仲間を敵扱いする愚かさ

玉木代表は、どちらかというと、PCR推進派だ。過去には何度もPCR接種の拡大を主張していて、そのたびに批判されるということの繰り返しだった。

で、そんな玉木氏のことを愛国心の足りない怠け者氏は「検査スンナ派だった時点で合理性は一切ない」といっている。ここから考えるに、この人は検査推進派だと予想できる。

いわば、本来、PCR拡充の点で言えば、玉木氏と意見が一致するはずだ。ほかの思想は異なるだろうが、PCRに関する問題においては仲間のはずだ。

本来、政治において、自分と考えを共にする人が多いほど良いとされる。そちらの方が、自分の考えを補強できる可能性が高いからだ。しかし、『愛国心~』氏はその戦略と逆のことをした。一言で表すと、本来味方にすべき人を敵扱いした。

氏は2.8万のフォロワーがおり、当ツイートには200をこえる「いいね」がついている。これだけ調査力の低く、考えを同じくする人を敵扱いしてしまうような人にこれだけ賛同が寄せられているとすれば、氏の望む世界は永遠に来ないのではないのではないかな。

 

支持していない政党の「狂信者」になっていた僕

僕も、この「実際とは異なるレッテル貼り」の被害にあったことがある。

chocolat.という方のnoteで、「玉木クラスタ」の例として挙げられたことがある。玉木クラスタとは、国民民主党の玉木代表の熱心な支持者、むしろ盲信者といえるような人のことのようだ。

はっきりいって、呆れた。中には、むしろ国民民主党(当時)に反対している人も「玉クラ」扱いされていたので、もうどこから指摘していいのかわからなかった。

いやいや、玉木氏の支援や支持を一度でも表明したことはないんですけれど?」と思った。後日反論したが、僕を「玉クラ」扱いする人の中に「でも、支持してないっていっちゃったら玉木さん悲しむと思うけれど」というツイートがあった。

いや、知らんがな。これが、正直な感想だった。

 

支持していない人が、支持していないと言ってなんで懸念されなければならないのだろうか。そんな暇人でもないだろう。

なぜ僕が「玉クラ」扱いされたかというと、とある国民民主党の支持者による記事を好意的に紹介したからだ。考えられるなかで一番の理由はこれだけだ。

他にも、「(国民民主支持者がよくやっている)うさぎのアイコンで政治を語っていた」とか「自民党や安倍政権(当時)と同じくらいの勢いで、国民民主を含む(自民と比べると)小さい野党のことを語っていた」とかも考えられるのだけれど、どちらもはっきりとした理由とは言えないだろう。前者にいたっては言いがかりだ。

どれであれ、僕を一政党の熱心な支持者・狂信者というほど強い根拠はないだろう。僕からすれば迷惑極まりなかった。

あるいは、支持はしていないものの、国民民主党にも迷惑だっただろう。勝手に支持者でない人を持ち上げて、それが「狂信者」として扱われているのだから。

乏しい根拠から、あるいは、根拠なく、まったく本質をとらえていないレッテル貼りをしてしまうケースが少なくないようだよ。

 

レッテルを貼る人の何が残念か

レッテル貼りで視野が狭くなる

では、ここからは、なぜレッテル貼りが残念なのか考えていこう。

そもそもレッテルを貼るという行為そのものが、ほとんどの場合間違っている。

もちろん、世の中には肩書や学歴といった「事実」に基づくラベル貼りをする場合がある。しかし、イデオロギー(政治に限らない)で「この人はこうだ」といってしまうと、その半分以上は間違ったものになる。

しかし、一度レッテル貼りをすると、視野が狭くなる。いわば、自分の過ちを認めないことになる。明らかに間違っているという事実を突きつけられても、なにか言い訳するだけだ。

あるあるだと思うのだけれど、この人はこういう人だと思い込むと、そういう面が余計に目につくようになるものだ。その結果、「こいつは自分の望ましくないグループにいるから、自分の望まない主張をしているに違いない」と、事実と反することを言ってしまう。上であげた「玉木は反検査派だ」という主張のように、だ。

嘘も百万回言えば本当になるという言葉があるけれど、少なくとも、レッテル貼りをした本人にとっては、その間違いを間違いでない、少なくとも些細な間違いではないと認識したままになるのではないかな。

 

レッテル貼りをすると問題解決が難しくなる

また、レッテルを貼ると、物事の解決が遅れる。

むしろ、何か問題解決しよとか、物事を進展させようとしている人が、その問題解決を阻害している場合があるんだ。

上であげた「玉木・ネトウヨ&検査スンナ派説」を例にかんがえてみよう。

政治家が何か間違った発言をしたとして、「こいつはネトウヨだから」「何の合理性もない」と済ませてしまっては、その発言は間違ったままだ。というのも、本質的な訂正ではないんだ。

あるいは、chocolat.氏のように、他人をレッテル貼りすることによって、自分の願望が妨げられる恐れもある。氏は玉木雄一郎代表に「総理大臣になってほしい」そうなんだけど、以前国民民主党の支持率は低い。これは、chocolat氏が無関係の人物を「玉クラ」と貶めたことも関係しているんじゃないかな。玉木氏、あるいは国民民主党にとって、マイナスにはなってもプラスにはならない。客観的に見て、本当に玉木さんに総理大臣になってほしいのかどうか疑問に思ってしまうよ。

逆に、レッテル貼りをせず、知識不足、あるいは間違ったデータをもとに主張している可能性を考えて、「国連のデータではこうですよ」といえば、その政治家は主張を撤回するかもしれない。

どちらの方が国民にとって良いかというと、おそらく後者だろう。選挙で落とすにしても、時間がかかるし、それまでの間に訂正できるのであれば訂正した方がいい。このように、レッテル貼りをせず、いろいろな可能性を考慮した方が、物事を進展させるうえ、果ては、社会を自分の理想に近づけるにおいて効果的だと思うよ。

 

 

今回はここまでだよ。

あまり「玉木」という言葉を書きすぎると、また僕が玉クラ扱いされる恐れがあるから、この辺で擱筆することにするよ(^●ω●^)

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