元メンサ会員のカワウソのブログ。脳科学・IQ・ブログなどについて書いていきます

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知性について 脳・IQ

高知能特有の悩みをメンサ会員が整理してみる

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はいどうも、カワウソだよ。

テレビ等で高IQ特集というのが時々行われる。ちょっと前はメンサ特集といっていたけれど、最近はメンサも珍しがられなくなり、IQ172とか、それくらいのレベルの人を取り扱った番組を何度か目にするようになった。

とはいえ、高知能の人が同じ種族として扱ってい貰えている感じがしない。NHKなどでは、高知能者の悩みが特集されていたけれど、民放ではまだまだ高IQは客寄せパンダでしかない。

さらに、ネットでも、「高IQあるある」が流れてくるのだけれど、それもまた、僕からすると「本当に高IQの人が書いたのか?」と思ってしまう内容も多い。

これまで何度も高IQについて触れてきたこのブログだけれど、今回改めて、高知能者のもつ悩みやあるあるをまとめてみたよ。

 

 

高IQ者は、「メンサ特集」「高IQの主張」に共感しているわけではない

確か「マツコの知らない世界」だったと記憶しているのだけれど、MENSA会員の特集がされていた。

で、そこでメンサ会員の人がいろいろいうのだけれど、どうもすべてが自慢げに聞こえる。「彼氏が浮気したらすぐ見つけるから恋が長続きしない」とか、そういうものだった。

正直言うと、こういう特性がないわけではない。メンサに入れるくらいのIQの持ち主なら、他の人が気付かないようなことにいち早く気付くことがある。

ただ、はっきり言って、むず痒さがある。「そういう世界だけじゃないんだけどなー」というのが正直なところだ。

会員同士で飲み会で宇宙について話すシーンも映されていた。会員はそれぞれ、東大院生が3人と、東京理科大院生が1人だったと記憶している。

たしかに高学歴もおおいのだけれど、メンサレベルだと、さして学歴の高くない人も結構いる。正直なところ、メンサの一部を過度に放送している感じだったよ。

 

メンサではないが、テレビの「●●特集」で映されているイメージは、実際の●●というよりも、番組制作者側が期待する●●の像らしい。

東大主席弁護士として知られる山口真由さんが著書で書いていた(どの本だったかは忘れました)のだけれど、東大生・東大卒特集において、東大生や東大卒業生は、「高慢な態度で臨んでください」とスタッフにいわれるそうだ。

「東大生は性格が悪い」という、テレビ側が作り出したイメージを映すために、東大生・東大卒に指示している番組があるそうなんだ。

僕はメンサ特集の番組に出たことはないので断言はできないのだけれど、もしかすると、そういうものがあるのかもしれないと思っているよ。

 

ネットで見られる「メンサの特徴」も共感できない

もう一つ、メンサ会員が自分を売り込むために、自分の主張を「高IQは~」と主語を大きくして言うこともある。

IQが高いってどういうこと? メンサ会員が語る「脳」の切り替え方

上の記事は、現時点で「メンサ」とGoogle検索して、JAPAN MENSA公式とウィキペディアの次に表示されている記事だ。関口智弘さんというメンサ会員の方を取材している。

ただ、正直に言うと、彼の主張にはまったく共感できない。

彼は「高IQはひらめきを大切にしない」とか、そういうことを言っているのだけれど、どうも自分の主観に基づくものであり、たぶん調査はしていない。

彼の批判は下記ブログを読んでもらうとして、少なくとも僕自身や、僕の知っている高IQの人たちは、彼が意識している行動や思考、主張に必ずしも賛同はしない。

https://english-otter.com/2019/10/30/mensa-business/ ‎

メンサ会員がIQ商法に待ったをかけてみる

 

ちなみに、彼は「解くだけで頭がよくなるパズル」というタイトルの本を出しながら、その中で「これを説いただけで頭がよくなるわけではない」と書いている。あるいは、「日本の教育は記憶にたよりすぎている」と主張している割には、著書の帯で「入試に役立つ「論理的思考力」が身につく!」と書いている。

はっきり言って虚偽というか、大げさに言っているところがあるのだろう。メンサのなかでも特別パズルの得意な人と何度か話したことがあるのだけれど、彼らはこういった矛盾した説明が好きではない。

 

で、ここで言いたのは、関口さんの主張が正しいかどうかではない。僕の主張だって間違っているかもしれない。僕も、そしておそらく関口さんも、教育の専門家ではない。関口さんは義務教育を卒業して30年くらい経っているようだけれど、僕とて10年ほど前の話だ。今の教育は、僕や彼の受けた時代とは異なるから、よく知らない者が断言できるわけがない。

ここで言いたいのは、同じメンサ会員であっても、主張に差異が出るということだ。

「メンサ」と調べて上位に出るサイトでなされているメンサ会員の主張が、別の会員(=僕)にとっては全く賛同できないものなのだ。

もちろん、僕が間違っているケースも当然ありうる。一応ほかのメンサ会員と交流して思った高IQの特徴を書いているつもりだけれど、ぼくとは異なる意見の高知能者がいても何ら不思議ではない。

一応、今のところ、過去書いた高知能やメンサ関連の記事は、高IQの人、あるいは高IQの子供をもつ親御さんから共感コメントを頂くことは何度かあるが反発されたことはあまりない。だからおそらくそこまで間違ってはいないだろうと思っているよ。

ただ、そんな共感される僕の記事(笑)よりも、FNNという大手が書いた記事のほうが、信憑性が高いと思われたり、検索で上位に掲載されたりする。

こういうこともあって、必ずしも高い知能を持つ人が、テレビやネットで出てくる「高知能者像」と一致するとは限らないよ。

 

「空気を読まない」「変人」と思われがち

高IQ者が空気を読むのは結構きつい

また、IQの高い人は空気が読めないとか、変人だとか言われがちだ。すなわち、周りに合わせるのが苦手な場合がある。

知能が高いことは、本来いろんなことに使える「利点」なのだけれど、普通でないということからいろいろ苦労することがある。

これは結構高知能者のステレオタイプとして言われていそうだけれど、実際そういうのが難しい高IQ者は多いようだ。

 

まず、空気を読むとはどういうときに使われるか。最近はやりの言葉で言えば「同調圧力」だ。こういうとちょっと語気が強いかもしれないけれど、実質的なところはおなじだろう。いわば、社会的に望ましいとされることを、言葉を使わずに「これが正しい」と、なんとなく察することだ。

ただ、この空気読み、特に最近においては行き過ぎている場合をよく目にする。「自粛警察」なんてものがその一例で、コロナ禍において、不要不急の外出をした人をとにかくひったたく、いや、不要不急かどうかわからなくてもとにかくたたく人が現れた。

あるいは、この「空気読み」には、結構不合理なことがある。

有名ウェブライターのARufaさんが体験したことだ。

ARuFaさんがそこそこ混んでいた電車にいたとき、優先席に若者が座っていた。その若者が、ちょっと遠くにいたおばあさんに「座ってください」と声をかけた。おばあさんはそれを断った。若者は、もう一度戻るのも格好悪いからか、席に戻らずにどこかへ消えてしまった。

その若者は、そこそこ大きな声をかけたらしく、車内の人は全員そのやりとりを見ていた。

それで、その若者の座っていた席が、ずっと空いたままになっていた。

結構あるあるだろう。なんとなく、席をゆずるやりとりをみてしまえば、その席に座るのはなんとなくためらわれる。

 

しかし、混んでいる車内で座らないと、むしろ迷惑だと判断し、他の誰も座らないことを確認してArufaさんはその席に座った。

そうすると、隣に座っていた老人が、急にエヘンエヘンと、咳をし始めた。直接注意しないものの、いわば「空気読めよ」ということだろう。

詳しくは、以下の動画を見てほしい(電車の話は15:28~)。

合理的に考えると、AruFaさんは、席に座ったことで、混んでいる車内が少し広くなったわけだから、どちらかというと「いいこと」をしている。しかし、なんとなく優先席に座ることで「悪いこと」をしたように扱われている。

「空気」というものは不思議なもので、本来正しくないものが正しいと思われてしまう。

合理的に考える能力がたかければ高いほど、この「空気」が厄介になってくる。本来悪いことをしていない、むしろ正しいことをしていても、悪とみなされてしまう場合がある。

そのため、一定以上の論理的思考力がある人の中には、「あえて」空気を読まない人が出てくる。あるいは、空気的にはあまりよくないとしても、やはり本当の意味で「いいこと」をするために、なぞの罪悪感を抱きながら正しい行動をとる人もいる。

僕の場合、エスカレーターの並びが、ちょっとした不快感のもとだ。東京では左側に立ち、右側は歩く人用にスペースを空けてあるのが一般的だ。このマナーは万博のあたりにできたものだそうで、当時はそれが正しいといわれてきた。

しかし、実際は、機械の摩耗がはやくなる、エスカレーターを歩くのは危ない、骨折などを原因として空いている側によらなければいけない人がいる、といった理由で、「両側に立つ」のが正しい。

いろいろな面で「間違った」乗り方をしているのにイライラする。特に、エスカレーター待ちの行列ができるのを見ると、ばかばかしく思えてしまう。

 

もしここで、(東京でいえば)右側に歩かずに乗れば、おそらく舌打ちか、咳か、何かされる。コロナ禍だったら「近づきすぎ」という理由が通るだろうが、おそらくコロナ後でも、正しい行為としては認識されないだろう。

IQの高い人は、こういった、「不合理な」空気読みが苦手だ。

このエスカレーターの場合では見たことがないけれど、高IQの人は、「本来正しいが、なんとなくよくないと思われている」ことを平気でやる、あるいは、罪悪感を抱きながらもやる割合が高いように思うよ。

 

複数の知能のギャップに悩む

万能の天才タイプは結構レア

ひとことで「IQ」といっても、内容は千差万別だ。

いわゆるIQテストとしてネットで広まっているものは、本来IQをあらわす指標の一部でしかない。

そのため、ハイレンジテストで好成績を残している人も、すべてがうまくいくわけではない。

むしろ、ある能力がとびぬけているために、別の能力が犠牲になっている場合もある。

で、ある能力と別の能力とで差がありすぎるがゆえに、苦労するところがある。

僕自身、このギャップを感じることがある。それも、ブロガーという身でありながら日本語運用能力が低すぎるという点においてだ。

ブログにおいてもだけれど、それよりも話す際に苦労している。短すぎたり、逆に長すぎたり。言葉に詰まることもあるどころか、詰まらなかったことがないくらいだ。昔「頭の良いひと、悪い人の話し方」というのがベストセラーになったことがあるけれど、そこで紹介されている「頭の悪い話し方」をするのが僕だ。

もう一つ、極度の方向音痴だ。目的地の10mあたりで10分くらいGoogleマップを使ってウロチョロした回数は数知れない。そもそもGoogleマップが読めない。

 

僕は、人よりも物事のパターンに気付いたり、論理的に考えたりする能力は優れているかもしれない。しかし、言葉による表現力や、空間を把握する能力は極度に低い。

いわゆるIQといわれているような、論理的思考力・パターン認知能力といったものは、外からは見えにくい。その一方で、母語で話す能力は話せばすぐわかる。そして、人は「外から見える能力」で判断されることが多い。入社試験にはたいてい面接があるし、最近だと大学入試でも半数以上が面接試験らしい。

となれば、外から直接みることが難しい「IQ」がいくら良くても、むしろ良いからこそ、外から見える能力が犠牲になることがある。

だから、高IQがかならずしもいいとは限らない、むしろ悩みの種になることがあるのではないかと思うよ。

 

今回はここまでだよ。

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