はいどうも、カワウソだよ。
政治界隈において、「リベラルほどインテリ」というような風潮がある。
特に、アメリカにおいてはそれが強く、ハーバードなどアイビーリグの大学においてコンサバ(保守)はそれだけで悪とみなされることがおおい。ハーバード大大学院に留学した山口真由氏の『リベラルという病』において、以下のようなエピソードが載ってあった。
ハーバードのあるクラスで、「意図的に相手を脅す練習」が実施された。そのさい、ある中国人留学生が「女性相手に恐喝するのはやはりためらってしまう」と言った。それに対し、相手の女性学生は「あなたは、私が女だからといって態度を変えたの?」と怒り、それ以降この留学生はレイシストというレッテルを貼られた。
山口さんは、この中国人留学生の行為はレディーファースト的態度として受け入れられ、レイシストのレッテルを貼られるようなことではないと書いている。僕も同感だ。授業とはいえ、性別によって態度を変えるのはやはりためらってしまう。いわゆる「フェミニスト」と呼ばれる人の中でも、意見が分かれるかもしれない。男女平等といっても「頭ではわかっているが、心では抵抗がある」状態だ。
山口さんは、こういったアメリカエリートのリベラルを宗教だと論じている。このエピソードが語るように、アメリカにおいてはエリートほどリベラル、多くの日本人から見るとちょっと狂気的と思われかねないほどの『リベラル』になるというのが現状だ。
ただ、アメリカがそうだからといって、他の世界でも「エリート=リベラル」とか「頭いい=リベラル」というわけではない。
今回は、アメリカに代表されるような「リベラル=頭いい、保守=頭悪い」という印象を、いくつかの研究成果をもとにして壊していこう。
IQと政治イデオロギーの関係
中道右翼が最も平均IQが高い
まず、イデオロギーとIQとの関係を見ていこう。「高IQ=頭がいい」というわけではないけれど、一般的に言われている「頭の良さ」の中で数値化されていてかつ世界中で使われている指標がこのIQだ。また、学歴以上に、頭の良さをはかる直接的な指標だろう。
で、イデオロギーでIQがかわるのかというと、明確に差があるんだ。
Rindermannらの論文(2012)では、IQとイデオロギーとの関係を調べ、イデオロギーごとの平均IQをはかったのだけれど、その中で最も平均IQが高かったのが「中道右翼」で、次に高いのが「中道」だった。そこから離れるほどIQは下がっていって、極右または極左に分類された人の平均IQはどちらも100を下回っていた。
右翼・左翼と保守・リベラルには違いはあるんだけれど、考えが極端になればIQは低い傾向にあるというのは直感できるだろう。「リベラルほどいい」というものでもおそらくないようだ。
保守・安倍政権支持者は反学問的か
日本において、保革が高いほど学問への信頼は高い
ただ、これは世界における話だ。日本ではどうだろう。
「リベラル」の定義も結構曖昧だけれど、それが日本では特に顕著のようだ。ここ数年、この国では安倍前政権(今の菅政権もそうだろう)に近いか否かが右翼か左翼かを決める決定打だった。そのため、たとえば維新のやっていることはかなりリバタリアン的な、領域によっては共産党よりもリベラルなところがあるにもかかわらず、安倍に近いという理由で保守界隈扱いされることがある。
で、安倍政権の支持と、学問への態度を調べた研究を見てみよう。
ここでは太郎丸(2019)の研究結果を引用するよ。ここでは、IQの測定はされていないのだけれど、「学問効果認知」という指標が使われている。これは、例えば「科学技術によってわたしたちの文化はより豊かになっている」「未知の分野への研究には、たとえすぐに結果が出なくても国が投資すべきだ」という意見にどのくらい賛成したかの割合だ。この値が大きいほど、科学などの学問が大切だと思っているということになる。
で、結果はどうだったか。
「保守ほど」「革命ほど」というのではなく、「保守あるいは革命の度合い」が高いほど、この学問効用認知の度合いが大きかったというんだ。
なんと、保守派・革命派のどちらも学問の重要さを理解しており、逆にどっちでもない人はあまり理解していないようだ。
さっきのIQの関係とは一見逆の結果で、意外だったよ。
安倍政権支持者は、学問は重視するが学者は信用しない
また、この研究では安倍政権への態度と学問への態度の関係も調べている。
これによると、安倍政権を支持するほど、この学問効用認知の度合いも高いといいう。安倍前総理に対して反知性主義をうたう書籍がいくつか出ているけれど、支持の度合いとの関係で言えばむしろその逆ということも言えそうだ。
しかし、さらに興味部会のだけれど、安倍政権を支持するほど、学者の相対的信頼度は低いという統計結果になっている。すなわち、安倍政権を支持している人ほど、学者への信頼は厚くなくなる。論文では書いていないけれど、学者の大部分が反政権的なのが関係しているんじゃないかな。
菅総理の日本学術会議任命拒否へのデモで、官邸前で書物を読むというものがあった。これは「菅は学者を拒否する=反学問的・反知性的だ」と主張しているのかもしれないのだけれど、上の結果からすると、学者を信用しないことと学問を重視しないことは必ずしも一致はしないことがうかがえるね。
なぜインテリ=リベラルという風潮があるのか
インテリ=左傾だったころの名残か
では、なぜリベラルはインテリだという意識があるのだろうか。
これには二つ理由が考えられる。一つは上でふれたように、アメリカの影響だ。ハーバード大学などアメリカのエリート大学は、リベラルの発端だ。もとからアジア人は多いのだけれど、アファーマティブアクションにより黒人が優遇されて、本来アメリカ国内ではマイノリティであるはずのアジア人が入りづらいという「差別」も起こっていることも問題となっている。
この影響で、日本でも「リベラル=えらい」という図式が一部の人の中で思い描かれているかもしれない。
あるいは、もともと日本で、インテリはみな左翼だという意識があったことも関係しているだろう。
左翼とリベラルはいろいろ違うのだけれど、伝統にとらわれず革新的だという意味で共通している。
で、どうも日本では大正から昭和初期にかけて、知識人(≒読書人)が当時最先端の学問だったマルクスを読み、それがきっかけで左傾化したそうだ(「教養主義の没落」竹内洋 より)。当初は学問的な関心からマルクスを読むようになり、それが転じて「あたまいい=左翼」という図式ができたという。
ここからも、もともと政治的に左翼思想な人が頭がいいのではなくて、昔の知識人階級の人が社会主義に触れる機会が多かったというだけのようだ。
逆にいうと、リベラル的な考えを持っている人が生まれつき頭がよいというわけではなさそうだね。
今回はここまでだよ。あるイデオロギーを一面的にとらえるのではなく、統計や事実に基づいてとらえたいね(^●ω●^)
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