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『純ジャパ』を自称する人に抱く不信感を考えてみる

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はいどうも、カワウソだよ。

語学を勉強している界隈の間で、『純ジャパ』という言葉を見聞きする。

元は、大学の国際系の学部で、外国出身でも帰国子女でもない人が自らを卑下して称する言葉だったようだ。ただ今は、単に留学経験がない人が純ジャパと称している。この言葉を(後者の意味で)使う人はたいていの場合英語の高い能力を誇っている。TOEIC900点以上だったり、英検1級に合格していたりする。そのため、今ではこの言葉がむしろ本来の意味と逆で、かえってプラスの意味になっているケースもある。

僕自身はこういう言葉を使う人間ではなく、彼ら彼女らの本当の気持ちはわからない。ただ、純ジャパという言葉を見聞きした側の立場として一つ言いたいことがある。この『純ジャパ』を名乗る人のことを僕は信頼しない。そういう人のnoteやブログは極力よまないようにしているし、その高い英語運用能力を活かせていない残念な人だとさえ思う。

今回は、なぜ『純ジャパ』という言葉を使う人が信頼できないか書いていこう。

 

留学未経験が障害となる時代ではない

純ジャパが売りになるのは昭和までの話

純ジャパを名乗る人がなぜそうするかを考えていこう。さきほども書いたように、純ジャパと称する人は、自らの英語力を誇りに思っている。「留学に行かなくても英語ができるようになりました」という意味合いだろう。実際、『純ジャパバイリンガル』という意味不明の異名を名乗っていた大学生(現在は休学中)もいたようだ(今は名前を変えているものの、『純ジャパ バイリンガル』とググるといまだにその人のTwitterアカウントが表示される)。

その人のことはおいといても、自称純ジャパは、自分のことを、留学未経験であるのに、外国語(主に英語)が得意だと自負していると考えられる。

しかしここで考えたいことがある。語学の面で、留学をしないデメリットってそんなに大きいものなのだろうか。

まず、今の時代において留学によるアドバンテージはなくなりつつある。もちろん、現地の文化などを知るにおいては留学は必要だし、僕自身将来は海外で学びたいと思っている身だ。しかし、こと語学学習に限ってみれば、日本にいる限り絶対英語は上達しない、というような状況ではない。

例えば僕の場合、TIMEを定期購読している。Native Campでフィリピン在住の先生から授業を受けている。アルゼンチンやインドネシアにすんでる人とWhatsappやLINEで交流している。Duolingoというアプリで8言語を勉強している。最近は自粛しているけれど、meetupというアプリをつかって実際に日本にいる外国人とリアルで話し合ったこともある。

ユーチューブではアメリカやイギリスのユーチューバーのゲーム実況を見れるし、海外の大学の講義を無料で聞くこともできる。

明治時代であれば、英語を使えるようになるには相当のお金や機会・時には運も必要だっただろう。しかし、今、スマホさえあれば誰だって英語を勉強できる。少なくとも英検1級レベル・TOEIC900レベルであれば、日本に居ながらにして習得することは可能ではないかと思うよ。

その時代において、「留学なしでも英語が話せるようになる」というのは、メガネやコンタクトレンズが普及している今、「近眼の人でも、大掛かりな手術なしで遠くが見えるようになります」といっているようなものだ。正直、奇妙に感じるよ。

試験で測れる英語力はたかが知れている

日本でしか通用しない試験を自慢する純ジャパ

また、自称純ジャパは、自らの英語力の証明として、外国人と話したり交流したりした経験のことはあまり書かない。どちらかというと、資格試験、それも、日本で有名なものの点数しか載せていない場合が多い。

すべての『純ジャパ』を調べたわけではないけれど、たいていの場合、英検とTOEICのみ。英検は日本の試験だし、TOEICもアメリカ発ではあるものの、日本と韓国くらいでしか通用しない試験だ。留学などで自分の英語力を証明するためには、(アメリカやイギリスにおいては)TOEFLやIELTSといった試験が一般的に必要なのだけれど、そういった試験の成績をプロフィールに載せている人で純ジャパを名乗る人を見たことがない。

で、こういう英検やTOEICといった試験、正直申し上げて、そこまで難易度の高いものではない。

僕はTOEIC900、英検1級の一次試験に3度合格している(二次試験には8回落ちている)。多くの『純ジャパ』さんは英検1級とかTOEIC950以上とかだから僕よりすごいことは間違いない。

ただ、分野によっては、少なくとも英検1級の一次試験に限ってみれば、そこまでレベルの高いものではない。文章題なんかはTIMEなどの海外雑誌を読んでいれば十分対応可能だし、リスニングは使いまわしされているという。実際、一度だけだが、文章題で満点、リスニングで8割正解したことがある。(詳しくは英検1級一次試験、RLともに8割を超えました!を読んでほしい)

「留学なしでも英語力をつけました!」とアピールするのであれば、そのレベルではなくて、もっと難しい試験の成績を書いた方がいいのではないかと思うよ。

 

『純』という感じから感じる優越感

留学は『不純』か

上の2つは英語力とかそういうのに関する話だったけれど、以下、それとはことなる話をしていこう。

はっきり言うと、『純ジャパ』という言葉を使うことで優越感に浸っている部分があるのではないだろうか。

もっと単刀直入に言うと、「いや、『純』ってなんだよ」という話だ。

すごく単純な考えではあるのだけれど、こういう言葉を聞くと、帰国子女・留学生は不純なのだろうかと思ってしまう。

まだ、元の使われかた、すなわち自らを卑下するために純ジャパという言葉を使うのはまだ理解可能だ。というのも、外国出身学生や帰国子女のように英語が話せないというコンプレックスを抱いているゆえに、「英語が喋れない私たち」という意味で、ネガティブな意味で使われているからだ。本来はこの意味での使用もグレーなのかもしれないが、否定的な意味での純ジャパは理解可能ではある。

ただ、今の使われ方、留学経験なし(だけれど英語ができる)という意味での『純ジャパ』は、むしろ『英語ができる私』の要素が大きい。肯定的な意味での純ジャパだ。

留学をしていないことそれそのものは否定されるべきことではないけれど、純ジャパという言葉には自分の未経験を肯定、あるいは正当化しているきらいがあるんじゃないかな。正当化まで行ってしまえば、留学が悪だという考えに至る恐れだってある。実際その傾向はあるだろう。彼らが留学すれば、純ジャパではなくなってしまうのだから。純ジャパをアイデンティティにしてしまうと、留学できなくなってしまう。それを恐れてか、自分が留学していないことを正当化し、むしろ留学を否定する方向にもっていっているのではないかと思うよ。

純ジャパは差別用語か

『純ジャパ』と『ほんとうの日本人』

純ジャパは差別用語かという議論があるようだ。実際、Googleで『純ジャパ』と検索すると、『純ジャパ 差別用語』とサジェストされる。

これについて、考えを述べていこう。

まず、純ジャパそれ自体は、少なくともそういう意味はなかっただろう。ただ時と場合によっては差別的に聞こえる場合があるし、血統差別になる恐れもある。

これは単なる予想だけれど、例えば、日本人の母とアメリカ人の父との間に生まれた子供は、英語がうまい可能性が高い。たとえアメリカに行ったことがなくても、父親、あるいはその関係者から英語を学ぶ機会が多いと予想されるからだ。しかし、その子は『純ジャパ』扱いされないのではないか。

また、日本人と韓国人の間に生まれた子が同じ境遇だとどうなのだろう。その人が日本国籍を得ていたとしても『純ジャパ』だろうか。

『留学経験がない』という意味を取っても、『お前らは留学しているから純粋な日本人じゃない』ととらえられかねない。

 

この『純ジャパ』という言葉には、『ほんとうの日本人』という言葉と似ている部分があるんじゃないかな。

時々、政治的に強い思いのある人が、「本当の日本人ならそんなことしない」というふうに、ある人について、血統ではなくて言動から日本人か否かを区別しているのを目にする。

同じように、純ジャパを自称する人には、「留学したら日本人じゃない」、そこまでいかなくとも、「留学は反則」のような思いがあるんじゃないかな。

 

今回はここまでだよ。

過度な言葉狩りはいけないと思うけれど、それでもこの『純ジャパ』には不信感しかないよ。

 

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