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どちらに転んでも詰んでる議論がある

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はいどうも、カワウソだよ。

このブログで何度か引用させてもっている『ロザンの楽屋』を、今回もまた紹介して、話を進めていくよ。

今回取り上げるのは、『どう答えても詰んでる質問』に関する動画だ。

 

この動画では、2つの詰んでいる質問が挙げられている。

一つは、「賢いですね。」、もう一つは、「家事してる?」だ。

「賢いですね。」という質問(宇治原さんに対しての質問)は、はいと答えても変な感じがするし、謙遜しても「おもんない」と返される。特に京大芸人という立場もあってのことだろうけれど、どう答えても変な空気になるそうだ。

あるいは、「家事してる?」について。こちらは多くのひと、特に男性が共感することだと思われる。いいえと答えるのは(覚悟がない限り)ご法度だし、はいと答えても、「いや、自分ではやってるつもりかもしれないが、奥さんからしたら全然やってないんだよ」と返される。実際そういうケースが多いかもしれないが、これもまた詰んでる質問だ。

質問という形ではないが、Twitterでは時々、この『詰んでいる』状態を目にすることがたびたびある。

今回は、具体的な2つの事例から、どういう状態が「詰んでいる」のか、そしてその解決策を考えていこう。

 

2つの『詰んでいる』ケース

岡村隆史の擁護コメント

一つ目の『詰んでいる』ケースは、岡村隆史さんのラジオ番組での発言に関してだ。

岡村氏は、自身のラジオ番組で、コロナできれいな風俗嬢が出てくる、それを楽しみにしているという旨の発言をしたとして、炎上した。

この発言への批判に対して、ヘビーリスナーと思われる方の何人かが、「岡村さんのラジオをちゃんと聞いてから発言しろ」という旨のツイートをした。

このコメントそのものは非常に有意義な意見だと思う。実際に全文を聞いて感じるものと、それを文面にしてみたものでは印象が違ってくる。文字だけ見て判断するのは、やはり間違った方向へ向かってしまう恐れがある。あるいは、新参者が初めて聞いて抱く印象と、ヘビーリスナーが抱く印象とは違う。何回かラジオを聴いて岡村さんの(テレビでは出せないような)性格を知ってからあの発言を再度聞くと、おそらくいろいろと違ってくるのではないだろうか。

ただ、問題はそこではない。そのコメントに「毎回岡村さんのラジオ聞いていました。こういう話があるたび苦痛に思っていました」という返信が送られていたのだけれど、それに対して、「苦痛に感じていたのに毎回聞いてたんですか?」とコメントした。

魚拓をとってはいないのだけれど、記憶している限り、「全部聞け」とツイートした人と、「苦痛だったのに毎回聞いてたの?」と返信した人は同一アカウントだった。

流れを見ると

『 あなたは岡村ラジオをちゃんと聞きましたか?』という質問に対し、Noと答えたら「ちゃんと聞いてから言えよ」、Yesと答えたら「なんで今までも苦痛だったのに聞いているんだ。」となり、やはりどう答えても必ず負けることになるんだ。

ここでは、岡村さんの発言内容は全く関係ないんだ。

岡村さんがどんな発言をしたかに関係なく、『ラジオ全部聞け』勢が勝ってしまう。これは『詰み』なのではないかな。

 

 

玉クラへの批判ツイート

さらに驚くべき議論、というか主張がある。それは、ある方が、自分の支持しない政治的な集団を批判した言葉だ。

玉クラ』という言葉が使われている。玉木クラスタの略で、国民民主党・玉木雄一郎代表を熱狂的に支持する界隈のことを言うらしい。Twitterで #玉クラ と検索するといくつもその集団への批判が出てくる。

その批判が起こった経緯を説明しておこう。

ある(批判者のいうところの)『玉クラ』(以下A氏、)が、立憲民主党のある政治家(B氏)を「この人、●●(C氏)の裏垢だろ」と断定するツイートをした。

ここで、C氏がA氏を名指しして批判した。その後、A氏は発言を撤回・削除し、謝罪した。

これに対してC氏は『玉クラは議論に弱く、すぐ謝罪する』と批判的につぶやいた。そして、彼女だけでなくほかの玉クラ批判者の何人かも、同じように『すぐ謝罪する』玉クラを批判した。

 

一般的に、過ちを犯したら謝罪するのが倫理的に正しいとされている行為だ。しかし、「この集団はすぐ謝罪する」というのは、この倫理の逆を行っている(補足としていいておくが、容易に謝罪するのは下に見られる恐れがあるからやめろとか、そういう関係ではない)。

一般的に道徳上正しいとされていることの逆を突かれたら、それこそ『詰み』ではないだろうかと思うよ。

 

『詰み』の主張が『詰み』な理由

本質的でないところで勝敗が付いてしまう

なぜ、こういった主張・質疑が詰みなのか考えていこう。

まず、岡村ラジオの擁護についてだが、上で述べたように、岡村氏の発言と関係ないところで勝負がついてしまっているんだ。

たとえ岡村さんが、史実の何倍も差別的な発言をしたところで、「ラジオを全部聞いてから批判しろ。」「聞いて傷ついたならなんで全部聞いているんだよ」といえばほぼかならず勝てる。発言内容にかかわらず勝敗が決まってしまうのは、あまり生産的とは言えないね。

本来は、元の発言がどういうトーンで、どういう流れでなされたか、そしてその内容が重要であるはずなのに、それとはまったく別のところで擁護派が勝ってしまう。これをもって擁護派は「やはり自分たちは正しいんだ。岡村さんは間違っていなかった」と思うかもしれないけれど、このTwitterバトルの勝敗は発言内容と関係なく決まってしまっている。

本質から外れたところで勝負がついてしまうのは、詰みとしか言いようがないよ。

 

道徳的常識から外れた意見は詰む

また、玉クラ批判においては、批判勢は相手を「謝罪するとんでもないやつ」と非難している。

「間違ったなら謝る」が善とされている社会において、「間違っても謝らない」を善とする主張は詰みとしか言いようがない。

というのも、この場合、玉クラがこの批判を真に受けて、今度何か過ちを犯しても謝罪しなかったとすれば、それはそれで批判の対象になるからだ。いかえれば、窃盗が犯罪とされている社会で「こいつらは物を盗まない」と批判されるようなものだ。その非難をアリとしてしまえば、どう行動しようが必ず非難される運命にある。

岡村発言の擁護コメントと同じく、どうなろうが必ず攻撃される。これが、上の主張が『詰み』である理由なのではないかな。

 

『詰み』の主張への対処法

詭弁は相手にしない

では、このようなコメントに出くわしたらどうすればいいのだろうか。

最善の解決策の一つは、『相手にしない』ことだろう。

実際の社会では難しいかもしれないが、少なくともSNSにおいては、批判にいちいちこたえる必要はない。むしろ、どう転んでもアウトな詭弁に対してまともに相手しようなら、メンタルがいくら強くても限界がある。だとすれば、ブロックなりなんなりして、相手にしないことが一番だ。

上で『玉クラは議論に弱く…』と、玉クラ批判勢がツイートしたと書いているが、そもそもその玉クラと呼ばれている人たちは、おかしな批判をする人たちをまともに取り扱っていないのかもしれない。もし僕がその『玉クラ』だったとして、同じように無視するだろう。

詭弁にエネルギーを使うのではなく、もっと生産的な話に頭を使おう。

 

今回はここまでだよ。

これを読んだ方が、詰んでいる議論に巻き込まれることのないことをのぞんでいるよ(^●ω●^)

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