元メンサ会員のカワウソのブログ。脳科学・IQ・ブログなどについて書いていきます

カワウソは考える。

オピニオン 新型コロナウイルス 暮らし 社会問題・時事・事件

芸能人・テレビ番組等の謝罪に対して抱く違和感

投稿日:

はいどうも、カワウソだよ。

岡村隆史氏のラジオ番組における発言が炎上している。

コロナウイルスに伴う経済悪化により貧しくなった女性が風俗嬢となると予想され、それが楽しみだというのだ。

岡村隆史さん「コロナ明けたら可愛い人が風俗嬢やります」発言に批判

正直なところ、その可能性が否めないのが今の日本の状況だ。

しかし、それを待ち望んでいるかのような発言を、それもプライベートではなくラジオ番組で言うのは、ちょっとどうかしている。

ヘビーリスナーによれば、岡村氏は水商売の女性をモノとしてみる発言をたびたびしていたようだ。ラジオではテレビでは言えないダークなことも言えるのがウリの一つではあろうが、とはいえ電波に乗せていう点は同じだ。擁護不可能だ。

 

個人的に怒りが収まらないのだけれど、今回はそういった女性差別とは別のところについて考えていきたい。岡村氏関連でもうひとつ変に思ったことがあるんだ。

それが、謝罪だ。

発言したニッポン放送において、当局がホームページ上で謝罪した。

岡村隆史さん「コロナと風俗嬢」発言、ニッポン放送謝罪

 

今回は、この岡村騒動の謝罪から展開して、芸能界やテレビ番組・ラジオ番組における謝罪にたいして抱いている違和感についてかんがえていこう。

 

誰が謝罪するのか

当事者が謝罪しない・当事者に指摘しない

岡村さんの発言で、ニッポン放送がした謝罪を見てみよう

4月23日(木)深夜に生放送の「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」において、パーソナリティの岡村隆史氏から、現在のコロナ禍に対する認識の不足による発言、また、女性の尊厳と職業への配慮に欠ける発言がございました。

放送をお聴きになって不快に感じられた皆様、関係の皆様にお詫び申し上げます。

弊社番組に関わる全ての制作スタッフには、迅速に、より一層の教育を図ってまいります。

2020年4月27日 株式会社ニッポン放送

4月23日『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』での発言について

 

放送したのがニッポン放送だから謝罪するのは当然ではあるけれども、変な感じがする。

というのも、岡村隆史氏が謝罪していないんだ。

おそらく次週自分の番組で謝罪をするのだろうけれど、発言したのは岡村氏だ。岡村氏本人からの迅速な謝罪が必要なのではないだろうか。

また、スタッフに教育をしたというのもなんだかなという思いがある。岡村氏がパーソナリティであって会社員ではないということは承知しているが、教育・指摘されるべきはスタッフではなく岡村氏本人だ。

もちろん、スタッフがフィルターをかけずに流したというところに責任はある。しかし、そもそも岡村氏がラジオ番組でそのような発言をしていなければこんなことは起きることはなかった。

「それ、ちょっと違うんじゃないの」というのが本音のところだよ。

 

ニュース番組で謝罪すべきはアナウンサーか

もう一つ、『誰が』謝罪するかに関して常々思っていることがある。

テレビ番組・特にニュース番組においての謝罪だ。

 

映像の映し間違い程度ならまだしも、ニュース自体がデマに基づいていたり、主観に基づいていたりするものの場合を目にする。

そういう場合たいてい謝罪があるのだけれど、それをするのはほぼ毎回アナウンサーだ。

これは、個人的に正しいとは思えない。

 

どのニュースを報道するか決定したのは別の人であり、アナウンサーはその名の通り公表する係だ。本来ならアナウンサー以外のだれかが謝罪すべきところだろう。

「原稿を読んだのだから罪はかぶるべき」というのは分かるけれど、原稿を読まないという選択肢は事実上存在しないだろう。「いま渡された原稿はフェイクだと思うのでよみません」なんていえば視聴者は混乱する。

もちろん、大人の世界では加害者以外が謝罪する場合もある。重大な事件をおこした会社は、その実際やらかした社員ではなくて社長とか役員とかが記者会見を開き謝罪する。これは、責任者が謝罪するのだから理解できる。

しかし、アナウンサーは社長とか役員ではない。本来ディレクターの過失を負う責任はないんじゃないだろうか。

なんか、違うと思ってしまうよ。

 

謝罪の『相手』についての違和感

『世間』って誰だ

また、謝罪する『相手』についても違和感のある場合がある。

(7:16ごろ)

上で載せたロザンの動画でも触れられているのだけれど、テレビでは「全体的に」謝ることがある。

これに納得いかないころがある。

芸能人の不倫騒動がそれなんだけれど、「世間」に謝る意味が分からない。川谷絵音さんが不倫騒ぎの時に同じようなことを言っていたけれど、まさにそうだ。

誰に謝るかまで曖昧にしてしまったら、なんというか、本当に謝らなければいけない人への誠意が薄まるような気がするんだ。

 

本当に謝りたいのであれば。誰に謝り、そして誰には謝らないかも明確にしたほうがいいのではないかとおもうよ。

今回はここまでだよ(^●ω●^)

 

こちらもオススメ!

『良かれと思って』が本当にいいとは限らないという話

 

-オピニオン, 新型コロナウイルス, 暮らし, 社会問題・時事・事件

Copyright© カワウソは考える。 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.