はいどうも、カワウソだよ。
Twitterを使っている人は多いだろう。僕自身活用している。
前回の記事では新聞の読み方について考えたけれど、今の段階で新聞を購読している人はそう多くない。
だとすれば、より多くの人が使っているだろうSNSの活用方法をほうが需要があると思い、この記事を書くことにするよ。
今回は、SNSの中でも、僕が一番活用しているツイッターの使い方について、考えていくよ。
複数のアカウントをもつ
用途を使い分けると、フォロワーも変わる
まず、知力をあげるのに貢献するツイッターの使い方その1として、『複数のアカウントを使う』ことがあげられる。
ぼく自身、今は3つのアカウントを積極的に使っているのだけれど、そうする中で気付くことがある。
アカウントごとに、フォロワーの質が異なるんだ。
用途ごとに使い分けているから当然といえば当然なのだけれど、その用途とは直接関係ない性質も、違っている。
僕は、オタク活動系のアカウント(以下Aとする)、勉強・ブログ用のアカウント(B)、政治活動のアカウント(C)を持っている。
AやBは政治とは直接関係ないし、AとCも勉強とは直接関係ない。しかし、そのそれぞれで、フォロワーの政治的座標や学歴が大きくことなるんだ。
例えば、それぞれのアカウントのフォロワーの特徴はだいたいこんな感じだ。
A……全体的に保守的(ときどき極左)、学歴はさまざまだが旧帝・有名私大少なめ、高卒多め
B……リベラル、東大・大学院生多し
C……中道保守、有名大学出身者多し。政治家多し。めっちゃ論破得意な高校生がいる。
僕そのものは変わらないのだけれど、僕の属性で何が重視されるかが変わると、僕にかかわってくる人の特徴もまた異なってくる。
この違いは、多様な考え方に触れることにつながる。
逆に、一つしかアカウントを持たないと、そこで流れてくるタイムラインが世の中だと思ってしまいかねない。
例えば僕の場合、Aしかもっていなかったとすれば、たとえ僕がもともとリベラルだったとしても、政治的に保守化しかねない。
逆に、Bしかもっていなければ、エリート思想に偏ってしまうかもしれない。
Cだけ持っていれば、悪い意味で政治的に精錬されてしまっていただろう。
どのアカウントも一長一短で、一つだけだと偏ってしまう。
それを防ぐ意味でも、用途ごとに複数個アカウントを作ることは重要だと思っているよ。
主流と違うアプローチを流してみる
これはツイッターにかぎったことではないのだけれど、受け取る意見と違うことを考えるのは脳を鍛えるのに必要だと思っている。
あるニュースがトレンドにあがったとき、それに対して一斉にツイートが流れる。
Twitterもまた社会である以上、『世論』という名の流れがある。
そこに対して、僕はあえてその流れを止めるツイートをすることがある。
ある犯罪の裁判で第二審で逆転有罪になったニュースがトレンドになった。
それに関して、多く『いいね』がつけられていたのは、たいていよろこびの表明とか、有罪は当然という声とか、第一審の裁判長を罷免する要求とかだった。
それをくんで、僕は、『加害者が無罪を勝ち取ってしまう事態をなくすにはどうすればいいか考えるべきだ』という旨のツイートをした。
『世の中』が、今回の有罪判決で『めでたしめでたし』だと感じてしまっていることに、危機感をいだいたんだ。このままでは、第二第三の事件が起きてしまう。
何か意見を言う際、(体力に余裕があればだけれど)、自分が見た意見とは異なるものをいうようにしている。
世間が正しいとは限らない。しかし、その世間は意識しないと存在に気付かない。また、世間の流れにあってさえ言えば、多少乱暴なこと・的を射ていないことまでも受け入れられてしまう。結果、世間に流されることでどんどん感覚と思考力が麻痺してしまいかねない。
それを防ぐためにも、一度世間と距離を置き、独自の考えをポストすることが大事なのではないかと思うよ。
今回はここまでだよ。
みんな大好きツイッター。この媒体を使って、より思考力を鍛えてみよう(^●ω●^)
被災者(あるいは事件事故の被害者)とメディアの関係について、改めて考えさせられる記事。
「ある取材の過程では、仏壇の前で手を合わせ線香をあげるシーンを演じることを要求された。亡くなった祖父の話を振られて、涙を流した瞬間だけを切り取られたこともある」https://t.co/NC7STyYusK
— はたちこうた Kota Hatachi (@togemaru_k) March 11, 2020
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