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将来IQ格差が生まれるかもしれない

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はいどうも、カワウソだよ。

世の中にはいろいろな格差がある。『所得格差』や『教育格差』がその例だ。

世界の傾向から見ても、こういった格差は広がるのが自然なようで、これを縮めるのにはかなり難しい。

そして、これは所得や教育というようなものに限らない。

知力・知能においても格差が広がると思っている。

 

今現在のIQ比率の分布は正規分布の形をしている。

すなわち平均値が一番割合が高く、広がるにつれてだんだん低くなっていく形だ。

しかし、僕は、この分布が近い将来崩れていくのではないかと思っている。

具体的には、正規分布では1つだった『こぶ』が、2つか3つになるのではないかと考えている。

 

今回は、現在の社会が引き起こす、知的能力の分断化についてかんがえていこう。

ツイッターは過激派をより過激にする

Twitterで過激派は過激に、穏健派はより穏健になる

田中辰雄・浜屋敏による『ネットは社会を分断しない』(角川新書・2019年)という本がある。

これには、10万人規模の調査で分かったネット・SNSの事実について書かれている。

これによると、ツイッターなどのSNSを利用すると、平均的には政治的イデオロギーが穏健化、真ん中によっていく傾向があるそうなんだ。

ツイッターを利用していると、政治的にゴリゴリの保守、あるいは行き過ぎとも思えるほどリベラルな論調を良く目にするから意外かもしれない。しかし、強いイデオロギーの人ほどたくさん政治的な書き込みをするからそう見えるだけというのが真実のようだよ。

 

上で挙げた事実も興味深いけれど、今回取り上げたいのはより細かいところだ。

ツイッターに関しては、もともと政治的に過激な人は余計に過激化することが明らかになったんだ。

政治的過激度(分極度)が上位2割(上位1割の保守+上位1割のリベラル)の急進派は、ツイッターを利用することでより過激化し、のこりの8割はむしろ穏健化、より政治的に真ん中によるという。

補足すると、同じ調査をブログとFacebookについてもやったところ、ブログ利用者(読む人)は、元の思想の過激さにかかわらず穏健化し、Facebookでは穏健派は過激化、急進派は穏健化するという結果になったよ。

 

政治的過激さと知能の関係

なぜいきなり政治的過激さの話をしたかというと、これが知能指数と関係しているからだ。

詳しくは右翼も左翼も行き過ぎるとIQが低くなるという事実に書いたのだけれど、政治的に中道右派、あるいは中道の人は平均IQが高く、右派、あるいは左派に大きく偏った人の平均IQは低いという研究がある。翼の左右にかかわらず、極端な人はIQが低いようだね。

Twitterで、なんでこんな極端でかつ整合性の取れない意見が称賛されているのだろうと思うことが多々としてあるのだけれど、極端さとIQの低さが関係しているのであれば納得がいく話だよ。

 

さて、上で書いたように、Twitterを利用すると、政治的に極端な人はより極端に、穏健な人はより穏健になるんだ。

となると、IQの低い極端な人はよりIQが低下し、IQが高くない穏健派はIQが上昇する可能性がある。

もちろん、上の調査結果からは、『頭が悪いから政治的に過激になる』のか、『政治的に過激になった結果頭が悪くなる』のかはわからない。あくまでも相関関係しか調査されておらず、因果関係についての研究ではない。

 

ただ僕は、『政治的に過激になるとIQが低くなる』という因果関係が存在すると考えている。

というのも、『幼児期の』IQが高いほどリベラルになるということも分かっているからだ。子供のころのIQは高いのに大人になってから測定したIQは低いとなれば、そのリベラル的な考えがIQ低下に関与していると考えるのが自然だろう。(右翼・左翼と保守・リベラルの違いも当然関係しているだろうけれど)

もしこの因果関係が成り立つとすれば、Twitterの利用で、IQが一定値より低い人はより低IQに、そうでない人はより高IQになるのではないかな。

 

簡単に使えるツールは知能の分断を作り上げる

なぜツイッターだけが分断化を起こすのか

上で挙げたのは、あくまでも仮説にすぎない。

政治的過激さに監視のトピックを、すべての事象に当てはめようとしているから、やや強引かもしれないことも理解している。

しかし、なぜツイッターだけが、この『分断化』を起しているのだろうか。

 

上で比較されている、Twitter・ブログ・フェイスブックの中でTwitterの特徴は何か。それは、文章量が短いことだ。

Twitterは一度に140文字まで投稿できるが、120字くらいのコメントでさえ『長文失礼しました』と付け加える人がいる。ツイッターの世界では、140字は長文だ。

しかし、フェイスブックやブログには文字制限はない。もちろん100万字とかは現実的に無理だろうけれど、これらの媒体では140字は短い。少なくとも、何か真面目な議論をするのであれば、少なくとも500字くらいはいくのではないか。

ここから見ると、Twitterはブログやフェイスブックと比べて『楽』なツールなんだ。

 

そして、楽なツールであるからこそ、知力の分断化が起こる。

頭のいい人はいろんな考えの人と交流し、そうでない人は自分と考えが似ている人と交流する(『ネットは社会を分断しない』では、政治的に過激な人ほど、反対意見との接触が少ないことも明らかにしている)。その結果、ある程度頭のいい人はより柔軟になり、そうでない人はより頑固になる。

この先、Twitterに限らず、どんどん『楽な』、『簡単な』ツールが誕生してくるだろう。

もちろんそれをうまく使えばいいのだけれど、うまく使えない人はむしろどんどんダメになってしまう。

 

社会が便利に、楽になっていく中で、知力の分断は避けられないと思っているよ。

 

(追記)格差そのものは悪いことではない

コメントを頂きました。

歴史的には分断により、限られた人のみが知識を得ることができ、その過程で進歩したという事実があります。

また、分断はあれども全体として、平均値や中央値が上がっているのであれば、それはメリットといえるでしょう。

ただ、ひとつ懸念していることがあります。それは、SNSにおける知の分断化は、過去・あるいは現代の分断とは異なるものがあるかもしれないということです。

 

歴史的に、貴族と平民とは、同じ土地に住んでいませんでした。現代でも、お金持ちが住む場所は限られており、貧しい人はたいてい同じところに住みます。

しかし、SNSにおいてはある程度平等ですし、容易にアクセスできます。調べようと思えば、1分かからずして、総理大臣やアメリカ大統領のアカウントにアクセスできます。

そういう現状では、優れた人がさらなる進歩へ向かうのが阻害されるのではないかと思っています。数々の誹謗中傷にさらされるおそれがあり、しかも知的分断で『対話不能』 となっていれば、いいわけさえ通じなくなります。

その点を考慮すると、知的分断は問題のほうが多いのではないかと思っています。

 

 

 

 

今回はここまでだよ。

便利なSNSやアプリで、自分が堕落しないようにちゃんと使いこなそうね(^●ω●^)

 

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