はいどうも、カワウソだよ。
この記事を書いている時期、ある一つのツイートが炎上していた。
私は障害を言い訳にする人が大嫌いだ。
特にADHDですとかアスペルガーですとか。それも病院できちんと検査を受けたわけではなく、ネットで聞き齧った知識で自称している人。ただの能力不足を自信満々に『個性』と言い張る図太さ、どうかと思う。
で、去年私の会社でも発達障害の女性を1人雇った。
— ごまたん (@gomachan_ks) February 18, 2020
実際に発達障害で苦しんでいる人にとって非常に誤解を招くうえ、多くの問題をはらんでいるツイートだ。
それについては別の記事で解説しているので参考にしてほしいのだけれど、ここで僕はある仮説を思いついた。
自分を発達障害だと思っている人が多いのは、日本社会そのものに問題があるのではないかと。
今回は、その仮説を抱くに至った根拠を挙げるとともに、どうすれば自称発達障害の人が減るかを考えていくよ。
(注意)この記事では『自称発達障害』という言葉を『本来脳機能に問題ないにもかかわらず、ネットの簡易診断から判断して発達障害だと言い張る人』のことを指します。実際に脳機能的に発達障害だが医者に診てもらっていないものは含みません。
また、『自称』という言葉を使っていますが、侮蔑の意味合いは含んでいないことをこの場に明示しておきます。
自称発達障害の中に発達障害はいない!?
本当の発達障害は『本当に』仕事に支障が出ている
アスペを自称したり、自分はADHDではないかと思ったことのある人は多い。
しかし、そのうちのどれほどが、実際お医者さんに診てもらったことがあるのだろうか。結構、ネットのチェックリストだけで判断して『自分はADHDだ』と確信しているに過ぎないんじゃないかな。
というのも、そういう『発達障害だと思っている』人の圧倒的多数は、医学的に診断すると発達障害ではないようなんだ。
ある精神科医の方が、この『自称発達障害』の人に関する動画を上げている。
この人の経験では、「自分は発達障害ではないか」と思って来院してきた人のうち、本当に発達障害だった人はゼロなんだそうだ。
また、別の精神科医・香山リカ氏も、発達障害と思いたがる人が多いという旨のことを、著書『「発達障害」と言いたがる人たち』で書いている。
その中で、診断する限り、なんの問題もない、単に「ちょっと苦手」なだけであるのだけれど、発達障害と思い込んでいる人がいるのだそうだ。
確かに、大人の発達障害に関しては明確なガイドラインがないようで、ある程度は医師の主観的なものも関係するのだろうけれど、それを考慮しても、実際に薬の投与が必要なほど深刻な人はごくわずかしかいないようだ。
『自称発達障害』は社会が作り出した
求められる基準が高すぎる日本社会
では、どうして、問題ない人が『発達障害』を言い張ったり思い込んだりするのか。
僕は、社会が大きく関係しているのだと思っている。この日本社会が、『自称発達障害』を作り出している一因ではないかと考えている。
僕は、日本人は個々の能力はかなり高いと考えている。
たとえば、日本人の平均IQは105で、これは世界の中ではトップクラスの高さだ。欧米の先進国よりも高い。
あるいはたびたび話題となるPISA。2018年に実施されたものでは日本の学生の読解力が世界15位で過去最低だと騒ぎいなったけど、それでも79の国・地域の中で15位は優秀な方だろう。ちなみに同年の数学応用力は6位、科学的応用力は5位とこちらも高い。
ただ、みんなが優秀であると当時に、家族や社会人として求められる基準もトップクラスになってしまったんじゃないだろうか。
基準が高いと優秀な人はどんどん優秀になるかもしれないけれど、そうでない人はどんどんドロップアウトしていきかねない。
日本人が求められる基準の高さはコンビニに行けば分かる。
コンビニ店員の時給は最低時給とほとんど変わらない。しかし、その時給で彼ら彼女らはどれだけのことをこなしているだろうか。
理不尽な文句に口答えせず、床をピッカピカにし、面倒な支払い手続きもやってくれる。
もしかすると、そういうことが難なくできる、あるいは頑張ればできるという人が多いからその時給なのかもしれないけれど、逆に言うと、それらの仕事ができない人は最低賃金さえもらえないんじゃないだろうか。
低賃金で高品質なサービスが求められる社会では、本当は問題ない人が『問題ある』人になって、あるいはそう思い込んでしまって、いろいろ生きづらくなってしまうのではないかな。
みんなの能力が高いのはいいことなのか
確かに、みんなの能力が高いと、めちゃくちゃいいものを安い値段で作ることができるし、多少理不尽なことでも受け入れてしまうかもしれない。客からすればサービス天国だ。
しかし、それによって、『能力がちょっとだけ劣る人』が『どうしようもない劣等生』扱いされてしまうのであれば、それは暮らしやすい社会とは言えないだろう。
平均IQが100の地域では、IQが90の人は『ちょっと天然』程度に扱われる。この地域にはIQ90代も一定の数いるからだ。
しかし、平均IQが105の地域では落伍者になりかねない。この地域にIQ90の人は少ないからだ。
お隣、韓国を見てみよう。
韓国の人は優秀な人が多い。平均IQは106で日本より高い。あるいはPISAの順位も、読解力9位、数学的リテラシー7位、科学的リテラシー7位と、世界の中でかなり上位にいる。読解力に至っては日本人より高い。
しかし、その韓国は超学歴社会、格差社会だ。そして、自殺率は日本の1.45倍にのぼり世界4位だ(日本は最近少し減ってきて、それでも14位)。
日本や韓国は、平均値が非常に高く、そこそこ以上に優秀な人が多い国だ。しかし、ではそんな国でどうして自殺する人が多いのだろう。
平均のレベルが高いと、求められるレベルも高まる。それによってどんどん消耗してしまう。
そんな社会だと、「ちょっとできない」だけで『発達障害』だと思い込んでしまう人が出てきても無理はない。
やはり僕は、『自称発達障害』はこの『求めすぎ社会』の産物だと考えているよ。
今回はここまでだよ。
発達障害を主張する部下があらわれたら、まずは自分が求めていたノルマが高すぎたのではないか、一度反省してみよう(^●ω●^)
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