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カップル・夫婦・パートナーだからこそ話し合おう

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はいどうも、カワウソだよ。

先日結婚したよ。

結婚生活の話はちょうど1年前ごろからしていたのだけれど、かなり細かいところまで話し合いをしての入籍だよ。

この1年間、家事の負担割合や将来の子育て・育休・夜の生活に関することまで、夫婦に関することはほとんどすべて話し合った。お互い(特に妻)時間がないのに、結婚前にここまで突き詰めたカップルは日本探してもそうそういないと自負している。

そこで気付いたのだけれど、カップル・夫婦・パートナーだからこそ話し合わなければいけない。話しすぎるということはないんだ。

恋人として一緒に過ごしてくると、言わずともわかり合うものが増えてくる。それに従って、だんだん直接的に話をしなくなってきて、阿吽の呼吸で感じ取るようになってくる。

しかし、それでも話し合い、話し合い続けなければいけないと思っている。

今回は、将来の自分への戒めの意味も含めて対話の必要性を書いていくよ。

 

『夫婦だからわかっているでしょ』は怠慢

言わずに失敗するくらいなら言って成功しよう

日本文化は『ローコンテクスト』の文化だ。すなわち、『いわずともわかる』『いわなくても伝わる』の度合いが他地域と比べて非常に強い、察する文化だといえる。この文化は特に西洋の人に驚かれることがあるのだけれど、この察する文化に頼りすぎるとまた問題を生む。

恋人に「あなたが喜ぶと思って」と、自分の好きでないモノやサービスを受けたことは無いだろうか。

サプライズで人前でプロポーズをしたらNOを突きつけられたり、「気に入ると思って」と買った服がむしろ相手が嫌っているブランドだったり。とにもかくにも摩擦が起こりやすい。

僕は、相手になにも聞かずに推測するのはむしろ怠慢だと思っている。これがカップルやパートナーだったとしてもだ。

 

相手のパターンから察して成功することもある。しかし、相手の好みに独特のこだわりがある場合そのすべてを察することはなかなか難しい。

アクセサリーにハマっている人にアクセサリーを買おうとしても、「この人はアクセサリーが好きだ」ということしかわかっていないケースがある。実はハートのアクセサリーを嫌悪しているかもしれないのにハートのイヤリングを買ってしまいかねない。(なおハート型は女性人気はあまりないので注意)

それで、渡した際に「え!ハート好きじゃないんだけど」と言われたら、渡した側も渡された側も複雑な気持ちになるだろう。

しかし、客観的に見ると、それはコミュニケーション不足なのではないかな。

 

確かに、サプライズによるプレゼントは成功したときの喜びが大きい。

しかし、失敗する確率もまた大きいのもまた真理だろう。個人的に、サプライズは自己満足であるところが大きいと思っている。

それならば、確実に喜んでもらえるスダンを取った方が双方にとってよいのではないかな。

 

話し合うことを努めておこるメリット

対等な関係を築くことができる

まず、話すことのメリットの最たる点はここだろうと思う。すなわち、話すことで対等な関係になることができる。

察することはいいことだ。しかしそれが強すぎるとかえって障害となる。

 

基本的に、察するのが得意な人はパートナー関係において損をする。

というのも、察するのが得意な人は相手の希望する対応ばかりしがちになるからだ。「これをすれば相手が不快になる」とわかればそれを察して先回りして行動する。それが行き過ぎて、自分のやりたいことを犠牲にしてしまう人もいるようだ。

それで幸せになれるのは、相手もまた察しがよい場合に限られる。パートナーの察しがよければ、相手が察してやった行動に感謝できるが、察しが悪いと、そもそも相手が進んで行動したことを察することができない。

どうも、「察する文化」の国は男女平等指数が低いという指摘がある。日本の隣、韓国もそうだし、ヨーロッパだとイタリアが当てはまる。察する文化では、一般に男性より察する能力の高い女性が相手を察し、そのために一方的に苦労してしまうようだ。

察しの悪いひとと付き合えば、察しの良い側が不満をためることになる。

 

対話には、そういった不平等な関係を緩和する働きがある。

相手に対して不満におもっていることを定期的に伝えなければ、いつまでたっても察しない相手が嫌になってくる。

それを避けるためにも、ぜひとも話し合ってほしいところだよ。

対話は『自分を知れる』

対話することのメリットは相手を知れることにとどまらない。話すことで自分自身を知ることにもつながる。

とりわけパートナー間での対話は、生活にかかわる部分で自分の特性に気付くことができるんだ。

 

夫婦生活に関して、お互いの希望を言い合うことは多々としてある。家をどうするか、将来子供にどれくらいお金をかけるかなど、数えてもキリがない。

話し合う中で、例えば『妻は仕事人間だ』と思うことがあるとする。

しかしそれは、『自分は(相手と比べると)仕事よりも余暇を大事にする人間だ』ということでもある。

いきなり「あなたは仕事と遊びどっちが大切ですか?」と聞かれても『どっちも大事だしなあ……』となるんだけれど、自分の大切な人とくらべると『自分は仕事寄り遊びが大事なたいぷなのだろう』と考えることができるね。

 

もちろん友人や家族との話し合いで自分を知れることも多いのだけれど、こと新しく家族となる人との対話はよりいっそう自分の深い部分についてしるよい機会なのではないかな。

 

 

コミュニケーションは万能ではない

対話不能な人を対話可能にすることは難しい

ただし、コミュニケーションが全ての人とうまくいくわけではない。

価値観はひとそれぞれだし、いわゆる『話ができない』人もいる(身体障碍や知的障碍とかではなく、話が通じないという意味で)。

 

そういう場合は、早いうちに別れた方がよい。

そういう人と一生を共にするのは身体的・精神的に多大なダメージを与える。

逆に言えば、相手が話の通じる人かどうかを見極めるためにも、普段からさまざまなことを話し合っておいた方がいいと思うよ。

 

男性と仲良くなるアプローチとは

当記事に関しまして、相手が本音を言わない場合があるし、男と女とでコミュニケーションの仕方が異なるというコメントを頂きました。

これに関して私の意見を述べます。

まず、本音をいわない場合がある、本人でさえ、何が本心だったかわかっていないという点。これは実際起こりうることですし、実際起こっていることでもあります。

その原因はいくつかありますが、本音を意図的に出さない人は、相手を無意識のうちに警戒している可能性が考えられます

何が本音なのか自分でもわからない人は、意識的に自分を抑圧してきた過去があるのかもしれません

上で挙げた2つの場合では、どちらも打ち解けるのに非常に長い時間と強い根気が必要となるでしょう。そういう人とコミュニケーションをとろうとするのはこちら側の体力を消費するものであり、正直オススメできるものではありません。

ですが、もしそういう人と何らかの理由で友情をはぐくみたい場合は、こちらの『受信力』というべきものを上げる必要があると考えています。

 

本音を言わない、あるいは言えない人であっても人間です。その人たちに感情そのものがないケースは非常にまれでしょう。

であるならば、いろいろ話しかけると少なからず良い反応を示す話題があるはずです。

相手がわずかに反応した際、それをみのがさない、やや大げさに言えばメンタリストDaiGoさんのような人間観察力が必要になってくるのかなと考えています。

 

続いて、男女のアプローチの仕方の違いについて。

私自身は妻を除いては男性と話すことが圧倒的に多く、そのため女性と男性の違いについては正直わからない部分が多々としてあります。

それはすなわち、男性に対してどうアプローチをすれば味方になってくれるかを意識したことがないということです。

 

そこで、今一度私自身、そして私の友人や家族の男性について考えた結果、一つの仮説にたどり着きました。

男性は、というとすべてあるいは多くの男性に当てはまるかどうかわからないので主語を『私のまわりの男性』としますが、私の周りにいる男性は、『自分と同じ興味関心を持ちながらも、自分と違う考えや自分の持たない知識をもっている人』に対して心理学的距離が近くなるようです。

例えば、政治について興味関心の高い人は、同じく政治について関心度の高く、かつ自分の持ちえない知識やアイデアを出し合う人に友情を抱きます。

一方で、男性が興味のないトピック、私で言えば化粧や美容関係ですが、についてあれこれ知識を持っている人と話をしても、ほとんど全く興味を惹かれることはありません。

 

この仮説は多くの女性にも言えることだとは思いますが、男性の芸人さんと女性の芸人さんの芸風を見比べても、男性のほうが『自分と異なる』ものを好きになる度合いが高いのではないかなと思っています。

 

 

今回はここまでだよ。

これからも話し合いを続け、健全な関係を続けていくことを誓うよ(^●ω●^)

 

 

 

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