はいどうも、カワウソだよ。
最近、あるFNNのとある記事をみかけた
IQが高いってどういうこと? メンサ会員が語る「脳」の切り替え方
メンサ会員が教える “頭の使い方”の悪い人がやめられない「7つの習慣」
ここで取材されているのは関口智弘さんという方で、メンサ会員だそうだ。
大学を卒業後、3年間で5つの勤務を経験したという。
(自主的な退社なのか、はたまたクビにされたのかは不明)
この記事の中で、「一般に頭の良いといわれる人は『記憶脳』に重きを置いている」だとか、「頭の悪い人は旅行目に入念に下調べをする」などと主張している。
しかし、彼と同じメンサ会員の一人として反論させてほしい。
あくまでも、これは関口さん一人の考えであるというだけで、メンサ会員全員がサポートしている主張ではない。事実僕が今から反論する。
僕が思うに、どうも関口さんは自分の著書を売りたいためにこのような主張をしているのではないかと思っているよ。
今回は、関口氏の主張が本当に正しいのか、現役メンサ会員の僕が考えていくよ。
メンサ会員・関口智弘の主張をまとめてみる
脳のスキルには『記憶脳』『分析脳』『思考脳』がある
まず、関口智弘氏はどのように主張しているのか。
簡単にまとめると以下のようになる。
脳の働きには、「記憶脳」「分析脳」「思考脳」があり、一般に頭が良いといわれる人は「記憶脳」に重点を置いている。しかし世の中には「分析脳」や「思考脳」に重点を置いているひとがいるが、その人達は必ずしも高学歴ではない。
日本の教育は記憶脳を使うことが多い。しかし記憶脳に頼りすぎて分析脳や思考脳を鍛えないと、過去の価値観にとらわれてしまい合理的な判断が取れなくなっていく。
「頭の使い方」が悪い人がやめられない7つの習慣に関しても、「頭の悪い人は目新しいところに不安を感じ、躊躇ったり、やるとしても入念に情報を入れてから行ったりする。前情報なしに新しい経験をすれば分析脳や思考脳を鍛えられる」という考えに基づいているものだ。
これらに対して、以下反論していこう。
教育に関する反論
日本の教育が「記憶脳」なのかは微妙、『高学歴・資格取得者=記憶脳』はほとんど間違い
以下、関口氏の主張に反論させていただく。
まずは教育の点について反論していこう。
日本の教育について、関口氏は『記憶脳を重視している』と主張している。
これに関しては賛成するところもある。
ただし、『他の国より記憶重視だし、別の国ほどではない』という微妙な立ち位置にいる。
イギリスの歴史の教科書では、たとえば大英帝国の植民地支配に対して、3人の生徒がともに意見を言い合っているページがある。
それで、「あなたは3人の誰の意見に賛成しますか?」と疑問を投げかけている。
これは、単なる暗記モノでは対処できない。関口さんの言葉でいえば『思考力』重視といえるだろう。
しかし一方、ロシアでは仕組みがまったく違う。
佐藤優氏によれば、ロシアでは教科書を丸暗記することが求められるそうだ。
日本の教育で、教科書丸暗記というのは、一部古典の授業を除いてなかなか見られない。
というわけで、『イギリスよりは記憶重視だろうし、しかしロシアほどではない』というのが僕の考えている日本の教育状況だよ。
さて、日本の教育状況が『ある程度』記憶重視だというのを説明したうえで、次のステップへ進もう。
「高学歴・難関資格取得者は記憶脳重視」なのか。
これに関しては、多くの場合間違いであると思っている。
というのも、良い大学の入試ほど、記憶に頼るだけではどうにもできない問題が多いんだ。
(本来の意味合いとして、高学歴は学士ではなく博士・修士をとっている人のことを言うだろうが、引用記事の内容を汲み、以下『難関大学を出た人』という意味で高学歴という使い方をします)
それがもっともあらわされているのが数学だろう。
有名なのが、「円周率が3.05より大きいことを証明せよ(東京大学)」や「tan1°は有理数か(京都大学)」だ。
あるいは大阪大学の数学は「当たり前だと思っていることの証明」をすることで知られている。
sinθの微分がcosθであることを示せ、といった具合にだ。
実は、こういった問題を解くにあたって必要な知識は、学校で習うものだけで賄える。
「そもそも円周率ってなんだっけ」「そもそも微分ってなんだっけ」というような本質的なところを理解していれば解けるし、ただ丸暗記していれば解けない。
さらに、はっきり言ってこういう難関大学の問題にマニュアルはない。
文系科目、例えば国語に関しても同じことが言える。
現代文を暗記科目と考える人は少ないだろう。
文章を分析し、どう表現すれば的確に伝わるか思考しなければいけない。
特に東大や京大の現代文は記述式が多い。多少のマニュアルはあるだろうけれど、結局は自分自身で応用していかなければならない。
結論として、よい大学を出ている人ほど、むしろ記憶脳以外の部分を使っている。
これは資格も同じことだろう。
記事に公認会計士の方がコメントされていたけれど、何が論点になっているかの分析力と、どのような知識を使うかの思考力が必要だそうだ。
漢検のように記憶脳のみに頼る資格もあるけれど、実用的な資格の多くは、たんなる記憶では済まされない能力が必要なのだと思うよ。
頭の使い方がわるい人の習慣に対する反論
分析と思考ではひらめきは生まれない
以下、「頭の使い方が悪い人がとめられない習慣」に関して反論していくよ。
まず、関口さんは「感性を理論より優先する」習慣を「頭の使い方が悪い」とバッサリ切っている。
そして、分析脳と思考脳の両方を使ってこそのひらめきだという。
もうこの意見には本当にあきれた。
少なくとも関口さんは、あまり積極的にメンサ会員と交流していないのではないだろうかと思う。
というのも、メンサ会員に天才は非常に少ない。少なくともJAPAN MENSAには、画期的な論文を発表したり天才的な才能をもつ音楽家はいない。
一時期ミュージシャンのRoiさんが注目を集めたけれど、それだってIQの高さで話題になっただけで、別に彼の音楽的才能が感動的だったからではない。
たとえばiPhone。あれは分析によってうまれたものではない。
ジョブズの、天才的なセンスと極端な完璧主義が生んだものだ。
もしジョブズが分析と思考を大事にしていたのなら、iPhoneやマッキントッシュは誕生しなかっただろう。
確かに市場を占めているのはWindowsだし、世界的にはスマホもアンドロイドが多い。
しかし、感性を大事にしなければ、iPhoneのような「刺さる」ものを生み出せないのではないかな。
入念に調べたのに失望するというのは違うのではないか
次に、「旅行前に入念に下調べをする」という項目に関しても反論させてほしい。
反論というか、矛盾の指摘だ。
未知の場所や人との出会いに際して、予め情報を収集しておくと、その時点で自分の頭のなかで「記憶」が作られ、実体験をありのままに感じることを阻害します。
観光ガイドに載っていた美味しい蕎麦屋さんが臨時休業していた、わざわざ訪れた観光名所が思いのほかしょぼかった、等でがっかりした経験のある人は、一度全くのノープランで旅行してみてください。過去最高の旅ができるかもしれませんよ。
とあるけれど、実際本当にそうなのだろうか。
蕎麦屋の臨時休業に関しても入念に下調べをしておけば「じゃあ他のところをあたろう」となるし、正しい口コミをいくつも調べておけば観光名所にがっかりすることもないだろう。
関口さんは、入念に下調べをしていない、むしろ『プランが甘い』例を『入念に下調べをしている』例として挙げている。
間違った例をあげてしまうのはミスリードだといわざるを得ないよ。
Amazonのレビューはむしろ『念入りにチェック』しよう
続いて、「Amazonのレビューをチェックする」という項目。
これもまた頭の使い方がよくない例としてあげられているのだけれど、むしろ逆だ。
Amazonのレビューこそ、関口さんが強調している「分析力」「思考力」を鍛えるのにふさわしいと思っている。
特に「★1つ」などのネガティブなレビューは、見ず知らずの他人が個人的経験に基づいて「ここが違う」「あそこがおかしい」と指摘をしているものがほとんどです。批判の対象が、内容には全く関係ない事柄であったりすることも…。
と書かれているけれども、だとすれば、内容に関係のない部分は「この批判は本質的じゃないし感情的になっているよね。参考にはならなさそうだ」と自分でフィルターをかけることができる。
見ず知らずの他人が個人的経験に基づいて書いているのであれば、それらを分析し、どの部分が主観でどの部分が客観的に書かれているのか考えればいいだけの話じゃないかな。
たくさんのレビューを分析し、どのようなレビューのどの部分を参考にすべきか思考する、まさに関口さんが日本人に使ってほしい「分析脳」と「思考脳」を鍛える最高の場所のように思うんだけれど、なぜ彼がこの行為を批判するのか理解できないよ。
今回はここまでだよ。
特に「頭の使い方が悪い習慣」に関してはすべての項目に反論したいんだけれど、今のところは一部分にとどめておくよ。
メンサ会員という肩書に騙されず、関口さんの意見も、もちろん僕の意見も、自分の頭で考えて判断しよう(^●ω●^)
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