はいどうも、カワウソだよ。
時々ツイッターで、『あなたのIQは』というようなものがトレンドに上がることがある。
ゲーム感覚とはいえ、自分のIQが気になる人は多いのだろう。
さて、一般にIQは高ければ高いほど良いとされている。
IQ自体が、問題解決能力だったりパターン認識能力だったり、平たく言うと『能力』なのだから、能力が高ければ高いほど良いというのは当然だ。
しかし、実社会においては、IQが異常に高いと困るケースが増えてくる。
僕自身、現役のJAPAN MENSA(人口上位2%のIQの持ち主のみが入会できるとされている)会員なのだけれど、自分自身を振り返ったり、周りの話を聞いたりしていて、高IQであることは必ずしもいいことばかりではないと強く実感しているよ。
僕としては、この現代を生きるうえで最適なIQは120程度のように見えるよ。
逆に、IQが130とか140を超えてしまうと、むしろ社会で生きづらくなっているようだ。
今回は、なぜIQ120が最も生きるのに適しているかを考えていくよ。
IQが高すぎると弊害が起こる
IQが高すぎると孤立する
まず、IQが高すぎることのデメリットをみてみよう。
傾向として、高IQの人は孤立しがちだ。というのも、IQが極度に離れている人が話をすると、どうもうまくいかないことが多いんだ。
俗説で、『IQが20離れている人とは話が通じない』というのがある。
僕は、この説が正しいとは思っていない。もしこれが本当だとすれば、メンサ会員のロザン宇治原さんがテレビで出る回数はもっと少ない(関東ではともかく、関西ではちちんぷいぷい(MBS)などのレギュラーを持っている)。
ただし、IQが20違う人よりも、IQが同じくらい人の方が気が合う。このことは確信している。
もちろんこれは単にIQだけで判断した多少乱暴な話で実際は経験の量などで話はいくらでも面白くなるものだけれど、でも、同じくらいの経験や個性であれば、自分と同じくらいのIQの持ち主と最も気が合うだろう。
というのも、IQが高い人は、平均的な人と比べて論理的で複雑な話を好む。
逆に、IQの平均的な人は、高い人と比べて単純明快だったり感情の入った話を好むように見える。
つまり、例えばIQ100の人とIQ130の人が話をした場合、
IQ100の人はIQ130の人を「スマートだけれど何か感情的なところでズレがある人」と思うだろうし
IQ130の人はIQ100の人を「話に感情論を盛り込む人」と思うだろう。
すなわち、お互いに「何か馬が合わない」という感情を持ちかねない。だからお互い離れてしまう。
そして、どこの国も平均的なIQ(日本ではIQ105前後)の持ち主割合が最も多く、全体の約7割の人のIQは平均値の前後15(日本だとIQ90~120)の範囲にある。
そして、IQ130以上は全体の2%しかいない(日本だともう少し多いかもしれない)。
ということは、IQが高い人は、自分と似た知能指数に出会いづらく、親友と呼べるようなひとがなかなかできづらい。
したがって、IQが高いと孤立しがちになる。
これが高IQの弊害といえるものの一つだ。
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なぜIQ120が最も生きやすいのか
IQ120の人は、知能の『溝』の境界に立っている
では、なぜIQ120の人が最も生活しやすいのか考えていこう。
結論から言うと、
IQが平均的な人からしてIQ120が最も魅力的なIQだからだ。
どういうことか。
上で述べたように、IQに大きな乖離があるとコミュニケーションが円滑にいかない場合が出てくる。
会話にかかわらず、IQが極めて高い人とそうでない人との間には『溝』が存在するのは確かだろう。
もし溝のようなものが存在するならば、その境界線が120程度のように見えるよ。
IQ100程度のひとからすると、IQ110の人が優れているのはわかるし、IQ120の人が極めて優秀なのもわかる。しかしIQ130を超えると、もはや優秀なのかどうかわからない領域になってしまう。むしろ、上に述べたように、何か気に食わないと思われるケースが増えてくる。
だからIQが120を超えると、むしろ社会で生きるうえではメリットにはならないのではないかな。
高IQは他の能力が犠牲になっている
もう一つ、IQ120のひとが最も成功する理由がある。
それは、『なんでもそこそこ以上にこなせる』のはIQ120程度が上限だからだ。
メンサ会員同士で交流していて思うことがある。
それは、メンサに入れるような高IQの持ち主は、自分を含め『偏っている』人が多いということだ。
計算はめちゃくちゃ早いけれど歩き方がなんかおかしかったり、難しいパズルを一瞬で解けるけれど毎日同じ服を着ていて汚かったり、そんな人がメンサ会員にはいる。
僕の場合、極度の方向音痴だ。駅から1分の場所を駅から10分くらい探すのがデフォルトになっている。
IQが130を超えると、「IQは高いが壊滅的な欠点がある人」になりやすい。
おそらく、脳の中で、本来別の目的で使われるべき部位が、IQ的思考のために使われてしまっているからだろう。
漫画『めだかボックス』では、『アブノーマル』という種族が存在する。一点の能力には優れているが、バランスが著しく悪い。いわゆる社会不適合者という言葉が似あっている人ばかりなのだけど、IQ130以上というのはこのアブノーマルに近い。
何というか、異質だ。そして、この異質さが、高IQの人がうまく生きていけない理由のひとつだと思う。
他の国はわからないが、少なくとも日本では、『長所はバツグンだけど短所も酷い』人よりも、『長所はそこそこだけど目立った短所がない』人の方が評価されるきりがある。
そして、IQ130を超えている人は、IQ120の人と比べて、致命的な欠点のある確率が高い。
その短所が足を引っ張って、IQ130以上の人は出世などをしにくい。
むしろ、IQ120程度の人は、IQ100の人よりも仕事ができるし、IQ130や140の人よりも目立った欠陥が少ない。
以上の理由から、IQ120程度の人が最も評価されやすいのではないかと思うよ。
高IQは「背が高い」ことと共通する
IQに限らず上位1,2%の人は大概不便
僕が思うに、IQが130を超える人は、統計的に言うと、人口の上位2%、偏差値で言うとちょうど70前後だ。
で、この上位2%は他の領域でどういうものかというかを見ていこう。
例えば、身長で言えば、男性だと182.5cm、女性で169.5cmだと、日本人のなかでほぼ上位2%だ(統計情報リサーチより)
うらやましがられる一方で、おそらく日常で何かしらちょっと不都合なことがあるかもしれない。
男性だと、意味もなく平均身長の人にねたまれるかもしれない。女性であれば、あまりモテないかもしれない。
ただ、僕は身長が低いので、彼らの悩みは分からない。ただ、おそらくは、高身長の人が高身長特有の悩みを打ち明けると、わりとイメージしやすいんじゃないだろうか。というのも、身長の大小は見た目で分かるし、背の小さい人も、高いところに登れば背の高い人の目線がある程度わかる。
しかし、IQのような、見えた目ではわからず、かつ低い人が高い人の目線に立つことが難しい場合、その悩みは自慢に聞こえかねない(テレビ番組で特集されているのは僕も自慢に聞こえるが)。そういうこともあって、IQは130を超えたあたりから、デメリットがメリットをうわまわるような気がするよ。
まとめると
・IQ120を超えると、その『優秀さ』を測ることがむずかしくなる
・IQ120を超える人には大きな欠点があることが多い
この2つを原因として、IQは120くらいが最も良いのではないかと考えるよ。
今回はここまでだよ。
IQ自慢は、上に書いたようなことも考慮したうえでしてくれるとありがたいよ(^●ω●^)
補足・IQを上げる方法について
Nバック課題が推奨されてきたが……
また、巷ではIQを上げる方法についていろいろかかれているようだ。
一時期、Dual Nback課題というものがいいのではないかと研究者の間で話題となった。
メンタリストのDaiGoさんもそれに関する論文をYouTubeで紹介しており、また弟さんと共同でDNBというNバック課題アプリを開発した。
僕自身この課題の効果を信じ、Dual N back課題を続けていた。というかそれに関する記事まで書いた。
結局脳を鍛えるにはどうすればいいか、元メンサ会員が考えてみる
しかし、どうもNバック課題の効果は大したものではないということが、メタ分析によって判明しているようだ。
詳しくは上でかいた僕の記事に書いているのだけれど、Nバック課題をしたところで、逆効果にはならないまでも、劇的な効果は得られないという分析結果になったらしい。僕自身は効果があると思って続けていたのだけれど、それも思い込みだったようだ。
瞑想などで脳を鍛える方法はあるけれど、いわゆる『脳トレ』的なものはたいして意味がないようだよ。
ケンブリッジブレインサイエンスで脳活動を分析する
ただし、どういうのが脳にいいかはわからなくても、どういう状況で自分の脳が最適に働くかは推測することができる。
それが、Cambridge brain Scienceだ。
記憶や推論、言語の能力を毎日1回テストできるんだ。僕はこれを、チャーリーさんのブログで知った。
脳トレとともに、自分の生活リズムやストレスレベルなども記録できる。そして、その情報がある程度たまると、自分の生活がどんな時に最も成績が良くなるか、分析してくれる。
それを活かせば、自分の脳にあった生活習慣がつき、その結果IQ向上が期待できるんじゃないかな。
追記・なぜIQ120を境界としているのか
コメントで「IQ120という数字が中途半端」だという意見をいただきました。
正直にいっおっしゃる通りです。
統計学的には、標準偏差σに対し、±2σが異常値とされており、それがIQで言えばだいたい130以上、あるいは70以下にあたります(SD=15の場合)
では、なぜこの数値が境になると思うのか。
わたしは、この値が上位10%だからだと考えています。
正規分布において、上位10%に当たるのが、IQ(SD = 15)で言えば120と119の間になります。そのことをもじってか、TENSAというグループもあります。
10人に1人くらいであれば、そこそこ身近にいます。しかし、平凡というわけでもない。
この微妙な関係が、IQ120という数字の特別性を生み出していると考えています。
また、正直なところ、数学的な厳密さはあまり考えていません。
追記・脳は簡単に「こうだ」と言えないという指摘について
脳科学を研究されているとおっしゃる方からコメントをいただきました。
当記事の内容は大きく外れているとのことです。
例えば、孤立するという意見に対し、「孤独=不幸」ではない、あるいは、脳は複雑であり、簡単にはこうだと言えないというような指摘をいただきました(詳しくは下部コメント欄をご覧ください)。
これについて意見を書きます。
まず、当記事はすべて研究成果ではなく、一意見に過ぎないということをご理解ください。
タイトルにも「仮説」と書いており、また内容は見聞でしかないことも明白にしているつもりです。
また、「孤独=不幸」という図式は当記事では一切記載していません。社会的関係によって、たとえ交流したくても孤立してしまうおそれ、あるいは、社会的成功をおさめるために必要最低限の交流さえ失われてしまうおそれがあると書いただけです。自発的に孤立したいという人が孤立の道を選ぶのは書くまでもないことと判断し、当記事では除外しています。
脳の構造が複雑であることも理解しております。そのうえで当記事を書いている次第です。だからこそ「仮説」とタイトルに書いているのです。
もちろん、脳科学の観点から否定されうることを書いている可能性は否定しませんし、反論があれば真摯に対応します。
ただ、私が書いておりますのはブログであり、それは意見でしかない。論文で発表されるような研究成果ではないということを、読者の方にご理解してもらえればと思います。
コチラもオススメ!