はいどうも、カワウソだよ。
2019年3月、高IQの子供の教育方法についての記事を書いた。
その記事に関して、「低IQの親のもとに生まれた高IQ児はどう生きるか考えを知りたい」というコメントを頂いた。
これに関連して、高知能児の教育に関しては、家庭単位の問題ではなく、国家・社会クラスで対処していかなければならない問題なのではないかと思ったよ。
今回は、低IQ親と日本社会との類似性を示すとともに、低IQのもとに生まれた高IQの子供が、その能力を適切に評価しない日本社会でどういきると良いか考えていくよ。
日本社会と低IQ親との類似点
高IQ・天才を殺す国、日本
はっきり言おう。日本は天才を殺す国家だ。
実際現代の日本は科学予算への投資が少なく、ノーベル賞受賞者の山中伸弥先生さえクラウドファンディングに頼らざるを得ないような現状だ。
で、それとは別に、日本社会は天才だとか、IQの高い子供の能力を育てるのに向いていない社会、高知能の人が欧米諸国と比べて生きづらい地域なのではないかと思っているよ。
というのも、日本と西洋には文化的な違いがある。
特に西洋よりも日本においては、世の中のルールとかマナーとかは、『最大多数の最大幸福』なところがあると思っている。
つまり、『個人にとっては不利益かもしれないけれど、大多数(あるいは権力者の大多数)がいいと思っている(であろう)方向に全員進みましょう』という社会だ。
例えば、義務教育制度がそうだ。日本の義務教育で飛び級制度を認めていないのは、過半数の人にとってその制度が不要だからだろう。
むしろ、飛び級によって妬みやら何やらを心配したり、逆に義務教育の中での留年制度もできかねない。そうなると不利益を被るひとも出てくるから反対しているのだと思うよ。
こういう『みんながいいという方向に全員従う』制度は、争いを避けるという意味では非常に有効だ。
個人主義のアメリカやフランスでは、貧富の差はとんでもないし、差別も日本以上にある。事業などで間違った方向に進んでしまって破産する人も多い。
(日本の方が自己責任という声もあるけれど、それは違うという立場だ。日本人が「私たちは資本主義の国だ」とわざわざ言わないように、自己責任が当たり前の国ではこうむやみに自己責任だという批判は起きない。自己責任論が議論になっていること自体が、日本が自己責任の軽い国だというのを表している。)
ぶっちゃけ、能力に自信の無い人にとっては、日本の『最大多数の最大幸福』社会は非常に心地よい国だろう。
しかし、IQが高かったり、能力が他人と比べてずば抜けて高い人にとって、日本社会は苦痛でしかない。
勉強で理解力の高い人は、飛び級制度があったほうが時間的にもコスト面でも圧倒的にお得だ。しかし、公立学校でそういう制度を導入しようとする声を聞くことはない。
あるいは、自分がその能力の高さで、他の人が8時間かかるような仕事を6時間で仕事したとしても、給料が30%上がるかというとそうではない。
最近は働き方改革で消えたかもしれないけれど、むしろ効率を悪くして残業した方が稼げるようなシステムだった。
そういう社会制度、会社制度では、有能な人がなかなか報われない。
僕からすると、こういう日本の教育制度は、低IQの親とさほど変わらないように見えるよ。
すなわち、高IQ者に対する理解が乏しく、彼らの能力を十分に発揮させられない。
天然資源の少ない日本において、世界を揺るがす天才を育成することは国益につながることだろうに、ギフテッドと呼ばれるレベルのひとが、その能力を存分に発揮できないのは、国も低IQ親もさほど変わらないのではないかな。
高IQの持ち主は自分で仕事を開拓しよう
高IQ者は労働自由化で得をする
では、そんな、優秀な人が育ちにくい日本の教育・社会で、高IQの持ち主はどう生きていくのがよいか。
一言で表すと、自分の手で自分の道を切り開いていくのが最適だと思う。
「なんとなく公務員」とか「大会社に入るのが勝ち組」とかではなくて、例えばユーチューバーになったり、起業したりすればいい。
IQが高い人は、データ・情報に現れるパターン・法則性にいち早く気付くことができる。
すなわち、分析能力が高い。
これは、どんな仕事をする上でも必要な能力となる。
俗な例だと、「この上司は夕方になると説得しやすくなる」とか「●●さんは朝に謝ると比較的怒られずにすむ」といったことにいち早く気付くのにも、そういう能力がいる。
あるいは、ユーチューバーになったとしても、「女性の視聴者が欲しい。女性がよく見る動画はこれこれで、そのうち自分の動画と相性が良いのはここだな。」というのもわかる。
で、そんな分析能力が高い高IQ者なのだけれども、会社の中だけでなく、『どういう仕事をするとよいか』に関しても、分析をするといいんじゃないかな。
そして、分析をした結果、多くの人がしないような仕事についているメンサ会員の人もいる。
例えば、メンサ会員の関口智弘さんは、ブラック企業に一度は入社したものの、いろいろあってなんと馬主になっている。
(参考:IQが高いってどういうこと? メンサ会員が語る「脳」の切り替え方)
関口さんと直接お話をしたわけではないので詳しいことはわからないけれども、自分の能力・趣味・あるいは社会動向などを客観的に分析した結果なのだと推測するよ。
あるいは、同じくメンサ会員である僕も、自分の能力と嗜好、そして現在の日本の経済を分析した結果、通訳案内士になろうと決心した。
それも、一般的な案内士ではなく、もうひとひねりしたガイドになることも考えているよ。
このように、IQの高い人は、自分で情報を分析し、自分の頭で考えて道を作っていったほうが、既存のレールを無批判に受け入れるよりもいいのではないかと思うよ。
高IQ者の子供は学生時代何を学ぶとよいか
最もオススメするのは『統計学』
とはいえ、いきなり起業しようとしても、家族に反対される可能性が非常に高い。
理屈で正しくても、感覚的にダメなものはダメという人もいるし、そもそもあなたの理屈を理解できないような人もいる。
そんな場合、学生のころからできることは何か。
僕としては、統計学の勉強をオススメするよ。
もともとIQの高い人は物事を分析することに長けていることが多い。そしてその分析力は、さまざまな分野で活用することができる。
となると、それをより極めた方が良い。直感レベルだった分析力を、より理論的に、科学的なものに転化させるのが高IQ者が生きていく上での最適解だ。
とはいえ、極めるといっても、相関関係の意味がわかるとか、論文に出てくるデータを読めるレベルであれば良いよ。
何かレポートをみて「へえ、相関係数あは0.8か。かなり関係があるのだな」と理解したり、「平均は同じだけれど、分散はAよりもBの方が大きい。ここから何が言えるか」というのを考えられる力をつけておく。これは今の教育指導要領だと高校生の数学で十分対応可能だから、高IQの人は、数学の中でもこの統計のところをするといいよ。
今回はここまでだよ。
令和のこの時代、僕は人々の『頭脳格差』が深刻な問題として取り上げられると思っている。
情報格差の時代を超え、あふれる情報をきちんと整理し分析できる人が勝つ世の中になる。
そういう時代の中で、分析力に秀でた高IQの人がより一層自らの力を発揮できることを心より願っているよ(^●ω●^)
コメント返信
(2019/9/12)
コメントをいただきましたので、それに関して私の意見を返信いたします。
正式な知能検査でIQ140をたたき出した高校生のかたからのコメントです。
その方が感じていることが、平均的なIQの方と話がかみ合いにくいという点とのことです。
この方は会話を論理的に展開するため、なんでもないような会話においてあまりうまくいかないということでした。
また、小学校のころ、算数の授業が簡単すぎて暇だったとも書いています。
まず、会話がかみ合わないことですが、私にもこういう体験はありました。
だらだらと続く意味のない会話は、いまだにその存在意義がわかっておりません。
一応、親交を深めるためだとは理解していますが、逆にそこまでして仲良くする必要はないのではないかなと考えています。人脈は大事といいますが、たいして馬の合わないような人と仲良くしたところでどれほどのメリットになるか。
また、算数が簡単で暇だったとのことですが、まさに、日本は天才を殺す国だなと実感しております。
将棋棋士の藤井聡太氏も「5分で理解できることをなえ50分かけてやるのだろう」と思っていたそうです。
特に算数の初期段階においてですが、理解度はひとそれぞれで、遅い子は人の何倍時間かける必要がある一方、理解力の速い人は通常の2倍3倍のスピードで授業内容を理解し、したがって授業の半分以上をムダな時間として過ごしてしまいがちです。
こういう、理解力に秀でた人には、例えば授業中であっても、高学年の教科書を与えたり、あるいは飛び級をさせたりするなどして、より高度な知識技能を教え込むべきではないかと思っています。
このような高知能の子供が小学校の授業を「暇」と認識してしまうと、学問に対する熱意を失いかねません。
もし彼らの「暇」を、より高度な学習で埋めることができれば、日本人の知的レベルもあがり、科学への貢献度もあがるのではないかとおもっております。
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