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『主語が大きい』と批判されている人は残念だという話 実は的を射ていないから批判されているだけだ。

更新日:

はいどうも、カワウソだよ。

世の中には『主語が大きい人』というのがいる。

 

自分が思っていることを「みんなそう思っている」と言ったり、実際よりも敵を誇大にして「女って~」「日本人って~」と言ったりする人のことだ。

こういう主語の大きい人は昔からいるようで、あの太宰治の『人間失格』の中にもそういう記述があるようだ。

ニコニコ大百科 太宰メソッド

ニコニコ大百科 主語の大きい人

 

さて、このような『主語が大きい人』。当然といえば当然かもしれないのだけれど、すごく残念な人たちなんだ。

今回は、なぜ主語の大きい人が残念なのか考えていくよ。

 

主語が大きい人はどこが残念なのか

主語が大きい人は自分至上主義だ

まずは、以下のツイートを見てほしい。

 

 


ここで考えていきたいのは、『本当に電車の電話は何の迷惑にもなっていないのか』ということだ。

 

確かに、音量の側面で考えると、大声で話すのと電話するのとではそう変わらないかもしれない。

しかし、これは健常者に限ったことだろうと思う。

ぼくがその一人なんだけれど、聴覚過敏な人の中には、電話の話し声がうるさいと感じる人もいる。

それも、特に電話は話し声よりきつく聞こえる。

 

僕はその旨を引用リツイートの形で説明した。

 


別に僕が間違っているとかどうかは、今この話においては重要ではない。

問題なのは、元のツイート主が電話マナーに関していろんな可能性を考えたかどうかだ。

 

別に、常に感覚過敏の人のことを考えろとは言っていないしそういう意図はない。

しかし、もしカンタさんが「誰が迷惑に感じるのだろう」と疑問に思っていれば、上のようなツイートはしなかったのではないかな。

 

これは国民性の問題ではない。

アメリカだろうがどこだろうが聴覚過敏の人はいるだろうし、そうでなくとも「自分より音に敏感な人からすれば電話が不快なのかもしれない」と考えることはできる。これでもまだ「日本人は」とか「アメリカでは」というのであれば、むしろアメリカ人を軽視していると解釈されかねない。

そういう疑問を投げかけずにいきなり「日本のマナーはおかしいわ。」「何の迷惑にもなっていない」とするのは、自分以外の環境・性質の人のことを考える能力が低いのではないのではないかな。

 

主語が大きい人は自ら考える力を潰している

主語が大きいと柔軟になれない

では、なぜ主語の大きい人はどうしてそういう考えをするのか考えていこう。

カンタさんの例で話すけれど、彼は上の引用リツイートに関して、1週間経った今でもなんの反応もしていない。

これは僕だけに限ったことではなく、彼に批判的なコメントには一切反応していない

 

そりゃあ批判的な意見は誰も不快になるし、中には中傷するようなものもあるから反応できない、反応する価値のないものもあるんだけれど、「批判覚悟で書くけど」とツイートしている以上は、少しくらい反論した方がいいんじゃないかな。反論しないのであれば、「批判覚悟」という言葉は外したほうがいいと思うよ。

一方で、自分に賛同する人の意見には多数反応している。

何かしっくりこないよ。

 

カンタさんは以下のように呟いているけれど、正直僕にはブーメランのように見えるよ。

この「文化」が何を指しているのか不明だけれど、ツイートの流れからすると日本の文化である可能性が高い。

しかし、リプ欄で適切に批判している人は多くいる。

つまり、正当な批判があるにもかかわらずこういうツイートをしている。

 

批判があるというのは当然のことだ。「何の迷惑にもなっていない」と意見しているのなら、一人でも迷惑だと思う人がいればその主張は間違っていることになる。断言とはそういうものだ。

しかし、こういった批判を受け入れない性格も、主語の大きいことが関係しているのではないかと思うよ

というのも、主語が大きいというのは、その時点で自分と異なる考え方や感じ方を持つ人の可能性を考えていないということになる。

「自分はそう思わない。だからこうだ」というのは、柔軟な態度ではないだろう。

主語が大きい人がいろんな立場の人のことを考えていないとすれば、キツイ言い方をするとそれは思考停止でしかない。

 

だから、「何の迷惑にもなっていない」とか「みんなそう思っている」と軽々しく使うのは、自ら考える能力を喪失していることと同義だと考えるよ。

 

主語が大きい人はどうすればよいのか

主語が大きい人は否定の前に疑問から入ろう

 

では、主語が大きい人はどうすればよいのだろうか。

これもまた思考のトレーニングなのだけれど、まずは疑問形で考えるとよいのではないかな。

 

上の例でいうと、「電話で迷惑をこうむる人はだれだろう」と考える。

そうすると、「電話だと音量が大きくなるよな」という考えには至るだろう。(さすがに聴覚過敏については当事者や専門家でないとわからないと思うけど)

 

それができなくても、批判的なツイートではなくて疑問としてつぶやけばよかったのではないかな。

例えば、「電車で電話って誰が迷惑しているの?」と聞くと、聴覚過敏の人が反応するだろう。

 

主語が大きい人がやるべきは、周りの意見を受け入れるトレーニングをすることだと思うよ。

 

「全部に当てはまるわけがない」から主語を大きくしても許されるわけではない

僕が主語が大きい人の批判を当記事でしたのが関係しているのかどうかわからないけれど、カンタさんの弟子といわれている人が次のようなツイートをしていた。


これに関して僕自身の考えを書いていくよ。

まず、「アメリカ全部にあてはまるかどうかに当てはまらないなんて考えればわかる」という点。

これは一見正しい。

 

しかし、カズヤ氏は重要な点を見逃している。

その論法が通じるような主張は、価値が全くないと言っているようなものだ。

 

どういうことか、以下見ていこう。

例えば、自分の主観で、オレンジカウンティというたった一つの街を見て「アメリカ人はダンスが好き」という主張をするとしよう。

そうすると、別の人が、同じような主張を別の国においても言うことができるんだ。

例えば、アメリカの田舎の人が東京・六本木のクラブに行けば「日本人はダンスが好きなんだなあ」と思うだろう。

同様に考えると、インド人もダンス好きだし、イギリス人もダンス好きになってしまう。

究極には、多くの人がよく知らない地域の人、例えばモザンビーク人に対しても「この人達はダンス好きだ」と主張することが可能になってくる。

 

主観に基づいて「主語が大きい断定」をすることが許されるのならば、まったく知らないことに関しても同じような主張が許されてしまう。

主観に基づいた『大きな主語』の弊害はそこにあるんだ。

屁理屈に聞こえるけれえど、根拠なく主観だけで主語が大きい『断定』をするのは、こういうことだと思うよ。

 

また、屁理屈でいうならば、「文字数制限」を理由に主語の大きいことが許されるというのも、また違う。

だって、『アメリカ』から『周り』に変えればいいだけのことだからねもっと言えば、『私』『俺』『僕』など、日本語の一人称は一文字で書けるものが多い。

あるいは、最後に「と思う」の3文字付け加えればいいだけの話だ。そこまで文字制限を気にする話なのかな?

むしろ、主語や目的語を大きくすることで、文字数を厳しくしているように思うよ。

正直なところを言えば、もうちょっとマシな理由付けをした方がよかったんじゃないかな。

 

「普通に考えて」は主語がでかい

また、このツイートにある「普通に考えて」って何だろう?

これもまた、主語が大きいことの裏返しだ。

「普通」ってなんだよという話だ。「普通に考えて」ってなんだよという話だ。

逆に言うけれど、このカズヤ氏は、「普通」の考え方ができると思っているのだろうか。そして、それがなぜ普通だとわかるのだろうか。

 

僕は、そうは思わない。

まず、カズヤさんは「普通」ではない。過半数の日本人はカルフォルニアに住まない。カルフォルニアに住むという、ある意味「特殊」な経験をしていて、何が普通なんだろう。

仮にこの方がアメリカに留学していなくても同じだ。

統計的な証拠はないけれど、もし、彼の考え方が普通だというのであれば、最低でも地球人90億人の0.1%、90万人くらいには、「あなたはこういう文を見たとき、どう反応しますか?」と聞かなければいけない。それも、対象は日本人だけでなく、各地域からランダムに90万人回答者をえらぶ必要がある。

細かいかもしれないけれど、「普通」という言葉を条件なしに使うのはそういうことだ。

これは、それこそ「普通」わかる話なんじゃないかな。

 

 

「主語が大きいと炎上する」は正確ではない

主語が大きくても一理あれば炎上しにくい

さて、上のカズヤさんにもう一つ、言いたいことがある。

それは、『主語が大きい』と批判されている人は、本当に主語が大きいから批判されているわけではないということだ。

 

どうも、例えば「日本人は~」と主語の大きい主張をしても、それが多くの人に当てはまっている場合、「主語が大きい」という批判を受けることは少ないようなんだ。

例を挙げると、お笑い芸人の厚切りジェイソンさんがそれだろう。

彼の持ちネタであるWhy Japanese people?はまさに、主語が大きい典型例だ。芸人としてだけではなく、日本人や日本文化に思ったことをツイートしている。

彼のツイッターアカウントはたびたび炎上するけれど、『主語が大きいから』炎上しているわけではないように思う。

おそらくなのだけれど、それは、彼の主張が多くの日本人に実際に当てはまっているからだろう。

 

多くの日本人が実際に当てはまることを言うと、「日本人は~」と主張しても「主語が大きい」とは言われることは少ない。

実際には日本人とか留学生とかに当てはまらない主張をしているから「主語が大きい」といわれるのではないかと思うよ。

一見矛盾しているけれども、「主語が大きいんだよ」という批判を多く受けるのは、本当は、主語が大きいから批判されているというよりも、その主語とされているもの(日本人、男、etc)の殆どに当てはまっていないからそう批判されているということになるんだ。

「日本人って~~だよね」といって、日本人の多くに当てはまるのであれば、「確かにそういう傾向はあると思います」みたいな肯定的なコメントが多数となるのではないかな。

カズヤさんは、ぜひとも、自分の主張の正しさをもう一度検証してみてはいかだだろうかな。

 

今回はここまでだよ。

自分の意見を一般化する前に、よく周りに耳を傾けようね(^●ω●^)

 

[警告]記事中で取り上げたカンタ氏にまつわる疑惑について

当記事で取り上げていますカンタ氏につきまして、新たな情報を得ましたのでお知らせいたします。

単なるインフルエンサーの一人かと思って当記事で取り上げましたが、どうも法的・倫理的に問題のあるビジネスをしている疑いがあるということが発覚しています。

 

 

 

 

あくまでもカンタ氏が有罪だと断定することはしておりませんが、カンタ氏をフォローするか否か等の行動をする際は、上で挙げたツイートを参考にし、よく考えたうえですることを心より願っております。

 

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