はい、どうも。カワウソだよ。
世の中には、頭のいい人と悪い人とがいる。
これはまぎれの無い事実だ。
そして、頭の良さは学歴やIQの高さとは必ずしも一致しない(相関関係は十分にあると思うけど)。
僕はジャパンメンサという高IQの人のみが入れる所属していた時期があるけれど、全員が全員頭がいいというわけではなかったよ(ただ、7割8割の人は頭がめっちゃいい)
あるいは、知識を持っているという人が必ずしも頭がいいというわけでもない。
確かにクイズ王の伊沢さんやQuizKnockのメンバーは頭がいいなと思うことはあるけれど、知識ばかり持っていてそれをうまく使えない人がいるのも確かなようだ。
では、今回は、『頭のいい人』とはどういう人のことを言うのだろうか。
それを一緒に考えていこう。
コチラもオススメだよ。
元MENSA会員の僕が、『IQの高い人』について客観的に考える
自分なりのルールがある
マニュアル化は思考を省力化する
まず最初に挙げる頭のいい人の特徴は、自分なりのルールを持っているということだよ。
むしろ、自分なりのマニュアルがない人は頭が悪くなるといっった方がただしいかもしれない。
というのも、人間は決断する際にエネルギーを消費する。
自分で「この時はこうする」とあらかじめマニュアルを決めておけば、その決断に使うエネルギーを大幅にセーブできるよね。
実際、facebook創業者のザッカーバーグ氏やAppleの共同創業者スティーブ・ジョブズ氏は、毎日同じシャツを着ているけれど、「着るモノの選択」に思考を費やさないことによって、より重要な事柄に関して思考力・判断力を集中させられるのだね。
二択で判断しない
二元論で決められるほど自体は単純ではない
次に、『YESかNOか』『勝つか負けるか』『文系か理系のどちらが儲かるか』といった二元論・二択で物事を判断しない、これが、頭のいい人の特徴の一つだ。
というのも、世の中のものすべてが二元論で決められるほど、世の中は単純ではないからだ。
例えば、以下のようなツイートがある。
お金を目的とした手段としてブログをやっているのに、それが雑記ブログだとしたらナンセンス。
自分の書きたいこととか考えてることをアウトプットしたいんだったらブログでお金を得ることは諦めた方がいい、スッパリと。
ブログでお金を稼ぐことは広告業でありビジネスだ。
— にこ@人と会うアフィリエイター (@yu_u2412) 2019年2月23日
ここでは、にこ氏は『雑記ブログでお金を儲ける』ことを完全に否定している。
確かに、平均や中央値を見れば、雑記ブログ(いろんなジャンルのことを書くブログ)よりも、特化ブログ(特定のジャンルのことを取り扱ったブログ)の方が、訪問客一人当たりから稼げる金額は大きいだろう。このことは他のブロガーも書かれているのでおそらく本当なのだろうなと思っている。
例えば、このようなツイートに対しては、ヒトデさんやいっくんさんという反例がある。
ふたりとも有名な雑記ブロガーで(狭義だと雑記ではないかもしれないけど)、かつ儲かっているブロガーさんだ。
人にはそれぞれ向き不向きがある。特化ブログをやったとしても続かない人はいるだろう。
そういう人が特化ブログを書いたところで、合わないだろう。
そういう場合、『雑記ブログだからダメ』というのではなく、『雑記ブログで儲けるにはどうすればいいか』を考える。そちらのほうが、選択肢を広げられるという意味で、頭のいい考え方ではないかなと思うよ。
これは、ブログという狭い世界においてのたとえだったけれど、他の分野でも同じだ。
例えば、「文学部だから儲からない」は確かに出身者の平均年収を見ると真かもしれない。
しかし、中には文学部出身でも高収入の人はいるだろう。
その際、「文学部でも高収入の人は何か共通点がある。そして、それをマスターすれば自分も儲けられるかもしれない」と思ったほうが、「文学部だからダメだ」とただうじうじするよりも賢い考え方だと思うよ。
数字で思考する
論理と集合
二元論・二択で判断しないというのに関連して、頭のいい人は数学的な思考力を持っていると思う。
僕が思うに、とりわけ、『論理と集合』の分野の能力が頭の良さと関係しているのではないかと思うよ。
論理と集合。高校でも習うし、センター試験では必ず出題される分野だ。
この『論理と集合』が秀でていると、感情とか直感に惑わされず、正しい判断ができる。
具体例でかんがえてみよう。
ボクシング漫画『はじめの一歩』に、次のようなセリフがある。
努力した者が全て報われるとは限らん。 しかし! 成功した者は皆 すべからく努力しておる
これはジムの鴨川会長が言った言葉だけれど、僕はこれを知った瞬間に「論理学として非常に使える名言だな」というのに気が付いた。
どういうことか。
論理的には、ある命題が真(正しい)ならば、その対偶もまた真だ。
しかし、命題が真だからといって、その逆や裏は真か偽かは判断できない
詳しいことはここで説明しないので、検索してみてね。
今回の例でいうと、
命題「成功者は全員努力している」
の対偶は
「努力しない人は成功しない」
だ。
つまり、「成功者は必ず努力している」が正しいならば、同時に「努力しないと成功しない」も正しいとなる。
しかし、「努力すれば必ず成功する(命題の逆)」や「成功しない人は全員努力していない(命題の裏)」が正しいとは限らない。
「努力したものがすべて報われるとは限らん」とあるけれど、これは、「成功した者はみなすべからく努力している」という命題が真だとしても、その逆は必ずしも成り立たないということを表している。
鴨川会長は、論理的に極めて正しいことを言っているね。
しかし、もし論理的思考力が弱い人ならどう考えるか。
「成功者はみな努力している」というデータから、「努力すれば必ず成功する」という、論理的に間違った主張をしかねない。
もし正しいデータがあったとしても、それを正しく読み取れないということになる。これは頭がいいとは言えないね。
よって、頭がいいと判断されるにおいては、論理的に考えることが必要条件(最低条件)なのではないかとおもうよ。
『わからない』ことを『わからない』と受け止める
頭のいい人の『わからない』は『こうすればわかる』『ここまではわかっている』と同じ
「頭のいい人の特徴」についてネットでいろいろ調べてみたら、「知識量が多い」ことを特徴の一つとして挙げているサイトをいくつか発見したよ。
確かにその傾向はあるだろう。
頭のいい人は、とりわけ自分の興味関心のあることについてよく調べ、またその情報を保持している。
しかし、頭の良さは、むしろ知識量の多さのその先まで行ったところで測られるのではないかと思うよ。
つまり、わからない問題に出くわしたとき、『なぜわからないか』『何がわからないか』が理解できる。これが、頭のいい人の条件の一つではないかと思う。
どういうことか、みていこう。
とある番組で、東京大学の世界ランキングが落ちているということについて、脳科学者の茂木健一郎氏と東大生とが議論しあったことがある。
その際、ある東大生が
「このランキングがどういう評価基準で審査しているのか知らないので、意見を言えと言われてもわからない」と発言した。
これはあくまでも主観なのだけれど、この「わからない」発言こそが、頭の良さを象徴しているのだと思うよ。
もちろん、言おうと思えば、「英語力が足りないから」とか「資金がたりないから」とか言えるだろう。海外ではそういう方が評価されるところもある。
しかし、それでは、なかなか正解にたどり着けないのではないだろうかな。
一方、「どういう審査基準で評価されているか」を知れば、その審査基準に沿って大学改革すれば自然とランキングは上がるだろう。そっちの方がより効率よく正解にたどり着けるね。
同じ「わからない」でも、「何もかもわからない」ではなくて、「○○だからわからない」といえるのは、むしろ頭の良さを示しているのではないかな。
ポジティブでもネガティブでもない
頭のいい人は冷静に判断しているだけ
とあるキュレーションサイト(以下Kとする)に、「頭のいい人はポジティブだという特徴があります」と書かれてあったよ。
しかし、僕は頭がいいと思う人にそのような特徴があると思ったことは一切ない。
むしろ、頭のいい人に、ポジティブさやネガティブさは関係ないとおもうよ。
しいて言うなら、そういった感情に惑わされない、ポジティブでもネガティブでもない人が頭のいい人の特徴ではないかと思うよ。
では、なぜキュレーションサイトKは、頭のいい人はポジティブなどと思ったのだろうか。少しかんがえてみよう。
上記したように、頭のいい人は二元論、yesかnoかだけで判断しない。
となると、不利な状況であっても、成功例の共通点を探し出して、「こうすればこの状況でもうまくいくのではないか」と提案できる。
もし他の人が同じく不利な状況でネガティブになって右往左往しているとすれば、そんな状況で解決策を考える人は相対的にポジティブになる。
これが、Kが「頭のいい人ポジティブ説」を書いた原因ではないかな。
今回はここまでだよ。
今回は頭のいい人の特徴を自分なりに考えてみたけれど、逆にこういった特徴を実行すれば、今から頭を良くする、自分の能力を最大限に発揮することだってできるかもしれないね(^●ω●^)
コチラもオススメ!