はいどうも、カワウソだよ。
2018年のクリスマス、プロポーズをされたよ。
正確には、「もしこのまま1年喧嘩などなく過ごせたら結婚しよう」という内容を言われたよ。
涙が出たよ。
ちなみに、相手が女性で僕は男だよ。
こういうことをいうと、一部から「お前には男としてのプライドはないのか」といちゃもんをつけられそうだね。
これに関して言うと、答えはNoだ。
むしろ、現在の日本に暮らしていく中で、『男のプライド』なんてものを主張するとかえって恋愛や結婚に結び付かないのではないかと思っているよ。
というのも、男のプライドは、男性自身も、そして女性にも苦役を与える、百害あって一利なしなものとなっているんだ。
今回は、その理由を考えていくよ。
プライドは女性を必ずしも幸せにしない
まず、男のプライドとは何だろう。そのことについて考えていこう。
たとえば、責任力、あるいは決断力などがあげられると思う。
責任や決断を女性に任せるなど俺のプライドが許さない、てな感じかな。
しかし、そういう『プライド』は得てして、『女の話を聞かない男』を作りあげてしまう可能性があるんだ。
そして、それが世の女性を不幸にしてしまいかねないと思う。
どういうことか。
一般に、『プライドが高い』という言葉は悪い意味でつかわれることが多い。
もちろん、自信を持つことで能力を発揮できるというものはあるけれど、これが行き過ぎて自信過剰になってしまうと、『能力がないのに口先ばかりばかりの人』というレッテルを貼られてしまいかねない。
また、自信過剰が過ぎると、いろいろな人をバカにしかねない。
世の中の多くの人はあなたより頭が悪いかもしれない。
しかし、あなたが世界一賢い人物である可能性は非常に低い。
となると、自信過剰が過ぎると、あなたより賢い人のアドバイスをききもらしてしまう可能性が高くなる。
これは、年齢や性差に限らず起こりうることだ。
能力が大してないのにプライドがあまりに高いと、自分より能力が高い人のこともバカにしたり批判したりしてしまう。
ようは、自分と違う意見や考えを受け入れられなくなってしまうんだ。
そうなると、変にプライドが高いことで、意固地になり、いつまでたっても能力を向上できないままでいてしまう。
そんな人間と付き合ったところで、うまくいく可能性は極めて低い。
相手のプライドが高ければ分裂するし、低ければ、折れてしまう。
たとえ折れた側の主張が正しくても、だ。
あるいは、例えば家事をするにあたって、『男のプライドが許さない』となってしまえば、女性に負担を負わせることになる。
これほど女性にとって理不尽なことはないね。
プライド存在そのものはたいへんいいモノだろうけれど、使い方を間違っている男性に対しては、さっさと別れた方がオススメだよ。
『男のプライド』よりも『他人を受け入れられること』にプライドを持とう
『男のプライド』は論理的に意味不明
あの人はどうしてすごいのに謙虚なの?
「もっと上を見ているからだよ」
あの人はどうして威張ってばかりいるの?
「下ばかり見ているからだね」
— ノイ@趣味ブロガー (@noizlife) 2018年12月25日
そもそも、『男のプライド』とはなんだろうか。
プライドとは、「誇りに思うこと」だ。
では、なぜ男性は自分の性を誇るのだろうか。
たとえば、体力的な負担が少ないというのは考えられうる。
僕自身、彼女と暮らしていて、生理の大変さはある程度理解しているつもりだ。
僕が彼女と同棲しているのも、そのあたりが関係している。
一緒に住んでいると、何かあった時、彼女の代わりに僕が動けるからね。
しかしだ。『男のプライド』を具体的に上げるとすれば、そういった身体的負担の軽さぐらいしかないだろう。
女は劣等種だとか言っている人も、(信じられないけれど)SNS上でいるようだけれど、そういった考えは論理的には実証されない。
本当に男であることは無条件で誇れるものだと思っているのなら、例えばその人は入社試験の自己PR欄に「私は男です」とでも書くのかな。
僕個人としては、そんな偏屈なプライドを持つよりかは、例えば相手の意見を論理的に判断できる能力の方がよほど誇るにふさわしいと思うよ。
他人のアドバイスを受け入れる能力があれば、相手の性差や肩書にこだわらず、より正しい・より幸せな方向に向かうことができるからね。
どちらにせよ、男のプライドなんてものはさっさと放り棄てて、もっと具体的に特定の能力を鍛えて、「この能力はどの場合に誇れて、どの場合に誇れないか」を考えた方がいいのではないかな。
今回はここまでだよ。
男性も女性も幸せに暮らせる社会が実現するといいな(^●ω●^)