はいどうも、カワウソだよ。
2ちゃんねる(現在の5ちゃんねる)やニコニコ動画を創設・開始したひろゆき(西村博之)さんが新たに本を出した。
その名も『論破力』。
ひろゆきさんといえば、テレビやニコ動の番組で相手を論破する力がすごいことで知られているね。
彼の『論破力』を読んで、賛同できるところが非常に多くあったので、書いていくことにするよ。
ずばり、ひろゆきさんのような考え方をする人が増えれば、日本企業や国会の生産性があがるのではないかと考えているよ。
意見よりも事実が大事
事実に抵抗するのは難しい
ひろゆきさんは著書の中で、『意見を言わない』とかいている。
どういうことか。意見は大事だと思う人もいるかもしれないけれど、ひろゆきさんは以下のような経験から、意見よりも事実で語ろうと主張している。
もう何年も前になりますが、ある対談番組に呼ばれて、ホストの評論家さんと「日本の若者が起業しない問題」について議論したことがあります。
その時においらが主張したことのは、「起業しないと幸せになれないんですか?」ということでした。
おいらは「企業したければすればいいし、したくないならしなくてもよい。それは選択の問題。企業を制限する法律も、年齢による規制もない」というような事実を説明したのですが、それに対して評論家さんは、日本では企業を後押しする風土や自由がないから日本の若者は起業できない。今のような日本では、若者は不幸ではないのか、といった意見が語られていました。
「1000万円の資本で起業しようとした場合、アメリカと日本ではハードルは同じなのか」と評論家さん。「1000万円ももってる時点で若者じゃないですよ」とおいら。これでも意見ではなくて事実です。
ひろゆき 論破力
この中でひろゆきさんの「意見」を強いてあげるならば、「起業しなくても不幸ではない」ということくらいだろう。
そのほかは全部事実だし、そもそも「起業しなくても不幸ではない」もまた事実だろう。
僕自身、似たような経験を見たことがある。
詳しくは記事なぜ一部の自称フェミニストは春名風花を名誉男性と呼ぶのか や キズナアイ騒動から、本当のフェミニズムを考える に書いているのだけれど、自称フェミニスト(本物のフェミニストと区別するためこう表現しています)のは、「女性がどう考えているか」よりも自分の意見を重視しているみたいなんだ。
僕自身も意見を書いてはいるんだけれど、フェミニストが女性の権利を守ったり向上させたりするものであれば、女性自身の意見や体験を重視した方がいいだろう。
男性の側から、「女性はこうに決まっている」と意見を述べること自体は否定しないけれど、「女性の多くはあなたの意見と異なる」という事実なしでは、こういうのは全く不毛だよね。
感情、意見で議論したところで、「いや、俺はそう思わない」と返されたら終わりだ。
しかし、事実、ファクトはくつがえすことはできない。
事実に基づいた議論をすれば、日本の議論はもっとスムーズになるんじゃないかな。
議論はエンターテインメントだと思え
ひろゆきさんは、テレビの討論番組、あるいは会社の社内会議というのをムダだと言い切っている。
というのも、そういった議論の中で新しい事実が出てくることがないからというのだ。
法的にグレーなことを扱う時は別として、多くの会議は、わざわざ会議室に寄ってたかったりしなくとも、スマホやPCで調べられる環境のある中で、メールでやり取りした方がいい結果になるだろう。そちらの方が、時間のムダも少なくて済む。
しかし、そんなしょうもない会議の中に、議論に強くなるヒントが隠されていると書かれてある。
議論を楽しむコツは何か。それは、好奇心としての「知りたい」という気持ちを持つことです。
おいらの場合、そういう気持ちが特に強いように思います。議論を通して「こういう場合はどう考えますか?」という自分とは違う考え方を知りたい。もしくは「きっとこうだろうな」という自分のy即が当たっているかどうかを確認したいのですよ。
返ってきた答えが想定内だったら「あっ、このパターンね、はいはい」だし、おいらの知らない説明の仕方で想定外の答えが返ってきたら「そういう」ことなんだ、へぇー」だし。「それなら、わかるわ」みたいなことで乗れる場合もある……というような、自分の考え方を含めて確認作業をしている感じが面白いわけです。
ひろゆき 論破力
議論では、かつ必要は必ずしもなくって、知らない事実や自分とは違う意見を知ることができる。それによって視野を広めることができる。その意味で、エンターテインメントだということだね。
ひろゆきの『論破力』は「ジャッジ」を意識しているから
討論の参加者は目の前の相手だけではない
さて、ではひろゆきさんは、事実で語る以外にも論破のテクニックを使っているそうだ。
というのも、そもそも議論や討論において大切なのは「第三者の証言がとれる状況」だと書いている。
というのも、まず1対1の議論では、真実が曲げられる可能性があるからだ。
本当は自分がAと主張してそれが通ったとしても、相手が偉い人で、「あいつはBと言って私はAと主張した。結果私のA案が通った」とようようになればそれに反対できそうにない。ひろゆきさんの言葉を借りればわきが甘い。
そういう状況にならないためにも、第三者・ジャッジをつけることが重要だとひろゆきさんは書いている。
討論番組であれば視聴者だし、社内討論であれば自分と相手以外の人だね。
そういう人の存在があれば、どちらが勝ってどちらが負けたがの証言が取れる。
そしてさらに、ひろゆきさんはジャッジを意識することで、議論で有利になる方法を書いている。
それが、議論を聞いている人の思考パターンを読むということだ。
先に「人を殺すことはよいことか悪いことか」という議論の例だしましたが、その議論の勝ち負けを判断する人が、子どもがいるお母さんだった場合には「子どもが殺されそうになって、目の前に銃があって、犯人を殺したら子供が助かるっていう場合、お母さんは殺しますよね」といったら、多分お母さんたちは納得すると思うんです。
(中略)
つまり、本当は目の前の相手とおいらの議論なのだけれども、ほとんどの場合は判断する第三者に刺さるかたちの説明をするということが、議論というゲームの攻略法というわけです。
ひろゆき 論破力
たしかに、討論番組で、百発百中で「正しい」方が勝ちになるとは限らない。
「正しい」かどうかよりも、「正しい」と多くの人に思われるかどうかの方が大切なこともある。
その場合、いわゆる正論をズバッというのではなくて、第三者が想像しやすいように話す、ジャッジを味方につける話し方・説明の仕方を意識すると有利になるということだね。
観客は判官びいき
議論では主観を入れず事実を話すというのがひろゆきさんのスタイルだけど、議論で勝ち負けを判断してもらうにおいては、その主観を活用することもあるようだ。
といっても利用するのは自分の主観ではなくて、観客の主観のようだ。
つまり責められている、怒られている「かわいそうな人」というのをずっと演じ続けると、「大変そうだね」みたいな同情が集まって、味方が増えて、最終的に勝てるわけですよ。
ひろゆき 論破力
さらには、ひたすら謝罪して相手に言葉を続けなくさせるというのもある。
どちらにせよ、第三者(あるいは討論相手)の心を操作するということが大切なんだね。
人間は、論理だけで物事を判断できる生物ではない。そうでなければ、心理学という学問は実際の半分も成立していなかったのではないかな。
で、そういう、いわば論理的な議論においては「不完全な」存在だから、議論の内容だけれはなくて、その人の態度・しぐさでさえ、第三者の判断材料となりうる。
論破といっても参加者は二人だけではないとすると、ジャッジの心理を操ることも重要となってくるんだね。
いかに相手の思考パターンを見抜くか
質問は相手の考え方を見る良い方法
議論において観客や相手の感情を揺さぶったり相手の思考パターンを読んだりすることが大事だと学んだうえで、ではどうすれば相手の考えが読めるか、みていこう。
ひろゆきさんは、相手のタイプを知る際に、話を聞いたり質問したりして、生の情報を集めるということをしている。
要するに行き当たりばったりなのですが、「こういう質問でこう返ってくるんだったら、この人はこういうタイプかな」みたいな、相手とのキャッチボールの中で、その人がどう考えるのかモデルを組み立てていくわけです。
ひろゆき 論破力
確かに言えているね。上下関係を重視する人にたいして、例えばホリエモンのようにラフな口調で話をしても聞いてくれないだろう。
そのように、相手の思考の特徴を知ることは大変重要だ。そして、そのためには質問をするということ。
これは議論だけでなく、日常の人間関係などにおいても活かしていきたいね。
準備よりアドリブが大事!?
ひろゆきさんはなんと、議論の場では準備のし過ぎはコスパが悪いとまで言っている。
たとえば、何か新しい企画について相手を説得しなければいけない時。まったくわからない分野だったらたしょうは調べますが、いろんな材料を調べすぎてしまうと、それを使わなきゃいけないということがあしかせみたいになって、逆に判断が狭められる気がするのですね。
むしろなんいもない状態で企画会議に参加して相手を良く見て、その場でどういうしゃべり方をするか、そういう反応をするか、何を望んでいるのかといった相手の情報をいかに多く引き出せるかの方が、結果に大きく影響するというのが実感です。
ひろゆき 論破力
プレゼンであればいさ知らず、議論であれば必ずしも正解を出す必要はないのだし、その方がいこともあるだろうね。
この部分をよんで思い出したのが、政治家の討論だよ。
政治家の答弁・特に大臣の答弁は、なんとなく信頼がおけないところがあるよね。
それは、官僚の文章を読んでいるだけというのもあるけれど、それでもって政治家が「この文章の通り読もう」としているからのようにも見える。
アドリブでないから、微妙に責任逃れだったり、食い違ったりしている回答になるんだね。
中には官僚と仲たがいして。白紙の答弁書をもらった総理大臣も過去いたそうだけれど、たしかに彼は支持率が高かった。(あとで思えば結構無茶苦茶な論理なところもあるけれど)
論理的正しさを別とした説得力がある。
これもまた、アドリブの力の高さがモノを言った例なのではないかと思うよ。
まとめると
・討論では意見よりも事実を提示すること
・議論では人の考え方を見ると楽しめる
・論理的正しさだけではなく、その場で相手や第三者の思考パターンを読み、それに合った説明をすること
という感じかな。
今回はここまでだよ。
皆さんが体験する議論がますます建設的になればいいな(^●ω●^)
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