公開日:2018年9月25日

理屈っぽい人は論理力に乏しい人だという話。


はいどうも、カワウソだよ。

 

 

さて、世の中には理屈ですべて片付けたがる人がいる。

俗にいう理屈っぽい人というヤツだね。

一見。理屈とか理論とかが得意、端的に言って頭がいいように思えるし、彼ら自身もそういう自覚があるようだ。

というのも、理屈っぽい人の特徴として、話を聞かない、プライドが高い、自分が正しいと思っているということが挙げられている(参考サイト:理屈っぽい人の6つの特徴とは?

しかし、みんなうすうす気づいていると思うけれど、そういう人は、実は論理力に優れていないんだ。

今回は、そんな理屈っぽい人とその論理的思考能力について考えていこう。

理屈っぽい人の理屈とは

理屈っぽい人は正論で討論する

そもそも、「理屈っぽい」とは何だろうか。

みんなのお金ドットコムの記事では、理屈っぽい男の特徴の一つとして、「常に正解を求めたがり、正論を語る」とある。

もちろん、議論の場においては、この性格は非常に役立つ。

しかし、理屈っぽいと呼ばれる人は、それが議論の場でない、例えばデートの時においてもこういう考えをしてしまう。

一般には理屈っぽいというのは女性より男性の方が多いといわれている。

このサイトでも「理屈っぽい人」ではなくて「理屈っぽい男」と書いているね。

とはいえ、理屈っぽい女性もいることにはいる。傾向として、高学歴な人は男性女性かかわらずそうだ。

(追記・訂正いたします。高学歴な人が理屈っぽいと書きましたが、正しくは、理屈っぽい人の中には高学歴な人もいる というのが私の意図でございます。訂正ならびに謝罪いたします。)

活動家のたかまつななさんもそういう一人で、例えばこういう理屈により、とあるテレビ番組にてコンビニの店員の挨拶ウザい論を展開している

犯罪心理学的に、挨拶は万引きなどの犯罪を防止するのに効果的だ。したがって、私が店員にあいさつするのは私が万引きする可能性を示唆していることになる。よってあいつらのあいさつはウザい。

彼女は大学・大学院で犯罪心理学を習っていると公言。そこで得た知識によりこのような論理展開をしているね。

ぼくの経験的に、少なくとも日本では、理屈っぽい人の過半数は男性だけれど、アメリカなど海外だと、その比率は1対1に近づいていくだろうね。

 

理屈っぽい人は、正論が「正しい論」だと思っている

では、なぜ理屈っぽい人が理屈を信仰する原因を考えてみよう。

例えば、さっきのたかまつななさんの例で考えてみる。

犯罪心理学を勉強している人は少ないだろうが、挨拶をすると潜在的犯罪者が万引きをしにくくなるというのは直感的にも納得できる話であろう。

また、犯罪をだれがするかなんて、昆布にの店員さんが予測するのは難しい。すなわち、とりあえず全員、あるいは特定の行動をした人に集中的に挨拶をかけるというのはあり得る話だ。

まあ、論理としては悪くない。

でも、ココには問題が生じる。

それは、正論を「正しい論」「いかなる状態でも完全に効果を発揮する論」だと思っていることだ。

もし彼女の例でいえば、論理的に考えると、あいさつの代わりに、客に「万引きはお控えください」とでも言っても内容的には変わりがないということになる。

果たしてそれでいいのかと思ってしまうね。

他の例をみてみよう。

Twitterで盛んになった自称フェミニスト・シュナムル氏のツイートだ。

もちろん、胸部のおおきい女性のラストに嫌悪感を抱く人がいるのは否定しない。かつてはそれで、とある自治体のポスターが撤去される事例もあった。

批判受けた「のうりん!」と美濃加茂市コラボポスター、新デザインを掲出 「作品自体は適切なもの」と企画は続行

シュナムル氏もたかまつ氏も、意図してかしないでかはわからないが、Twitterが炎上するタイプだ。それは、彼・彼女が異論を受け付けないという態度で発信していることもその原因なのではないかな。(シュナムル氏のツイートの件はこちらでも取り上げているよ→ なぜリベラル活動家の主張はウザいのか )

しかし、そういう「正論」ならどういう表現でケチョンケチョンに言ってもいいかというと、そういうわけではない。

しかし、理屈っぽい人というのは、正論だと思ったことであれば、過激な表現を用いて発信しても構わない、そうおもっているようだね。

なぜ理屈っぽい人の理屈は受け入れられないのか

正論なんていくらでもこねくりまわせる

さて、ではどうしてそういう理屈っぽい人の正論がなかなか受け入れられないのかかんがえてみよう。

その前に、この「正論」について考えてみよう。

はたして、正論は存在するのか? 

僕は、唯一解としての正論はないと考えている。

少なくとも、たかまつなな氏やシュナムル氏の思っている意味での正論は存在しないと考えている。

シュナムル氏の例でみてみよう。

まず、「女性の性的表現により、不快な思いをする人がいる」。これは正しいだろう。事実、彼の娘さんは気持ち悪いと言っている(親を忖度したという可能性も高いけど)

しかし、逆に、ゾーニングやポリティカル・コレクトネスが過度にいきわたった世界もどうだろうか。

いわば、下ネタという概念が存在しない退屈な世界という感じだけれど、それもまた気持ちが悪い。

エロ本どころか、例えばアイドルの写真集の平積みもはばかられたり、未成年が買えなくなる世界も、不気味になる。

ここでは、「性的描写の平積みは表現の暴力だ」と「過度な規制は気持ち悪い」という正反対の主張が正論になっている。

いま言ったことは極端な例だけど、そう。極端な事例の否定はたいてい正論になる、極端な表現をすればたいていの正論なんていくらでもこねくりまわすことができるんだ。

 

理屈っぽい人は考え方がよくない

極端なことを否定すればそれは正論になる。すなわち、まったく異なる意見の両方が、「正論」という武器によって理論武装可能ということになる。

ここで気づいた人も大勢出てきたのではないかな。

そう。正論による理論武装は、たいして価値がないものも存在する。

全部価値がないと書くとそれはそれで極端だけれど、でも、正論はえてして「極論の否定」であるとするならば、正論が何でもかんでも効力を発揮するとは言えないだろう。

逆に、こうした理屈っぽい人、正論を頼りに論理展開をする人はその点に気付いていない可能性がある。

となると、彼ら、理屈っぽい人たちは、正論の限界に気付いていないという点において、あたまが悪いと判断されざるを得ないのではないかな。

一言付け加えると、上で挙げたシュナムル氏は、正論の限界ついては自覚しているはずだと思うよ。

というのも、もしも正論がなんでもできると思っているならば、過激な表現で炎上まがいなことなんてしないだろうしね。

逆に、もしこの炎上が意図的なモノでないとするならば、正論からの論理展開でなんでもできると思っている頭の悪い人といことになってしまう。

学歴的に見ても、圧倒的フォロワー数からうかがえるカリスマ性から見ても、僕は彼が前者、すなわち正論の限界を自覚していてあえて炎上商法をしているタイプだと信じているよ。

 

本当に論理的な人は理屈っぽくならない

さて、ぼくはむしろ、論理思考力が得意な人は、むしろ理屈っぽくならないのではないかと思っているよ。

その理由は大きく二つある。

まず一つは、論理的思考力が平均以上の持ち主は、人間が必ずしも論理的な判断をする人間ではないことに気付いているから。というもの。

となると、論理的に正しい主張が必ずしも相手に伝わるかわからない。となれば、ある程度オブラートな表現をした方が、結果的に自分の主張が伝わりやすくなることもあるよね。

だとすれば、理屈っぽい言い方をすることはなくなる。ある程度以上の社会経験さえあれば、理屈ですべてがうまくいく世の中ではないことに気が付くだろう。

もう一つの理由は、世の中の主張はたいていメリットとデメリットの両方があることを自覚しているから

例えば、僕と同じINTP(論理学者)型、論理を大切にするタイプの上野瑚子さん(ミス慶応・MENSA会員・美人)は、MeToo運動に対してこういう意見を述べている。

#Metoo 運動そのものは別段悪いものではない。しかし、それが私刑につながるおそれも含めている。

かといって、#Metoo運動は危険だと言っているわけでもない。つまり、理屈っぽい主張をしていない。

彼女の例のように、本当に論理的思考をする人であれば、理屈っぽい考えによる主張なんてしてこないのではないかな。

 

理屈っぽい人に関するまとめ

まとめると

理屈っぽい人は論理的で頭がいいようにふるまっているが、正論に頼りがちなその性格は、正論の限界に気付いていない、むしろ頭の悪い可能性が考えられる。十分な論理的思考力を持つ人であれば、一方的な論理を展開する「理屈っぽい人」になる可能性はむしろ低いと思われる。

今回は ここまでだよ。

あえて理屈っぽい記事にしてみたけれど、理屈っぽい人は嫌われるそうだからみんなは注意しようね(^●ω●^)

追記

コメント欄にて、私の言いたかったことから大きく異なったコメントをいただきましたので、この場において追記させていただきます。

まず初めに否定させていただきますが、私は以上に挙げました二人への学歴にコンプレックスは抱いておりません。

確かに、批判の対象として挙げた二人の学歴は名門とされる大学・大学院卒ですし、また、高学歴は理屈っぽい傾向があると書いていたこともまた事実です。

しかし、本来の意図は、高学歴の中にも理屈っぽい人はいる、このような表現がより適切かと判断し、訂正させていただきます。

この部分を中心にして、私の意図と大きく外れた読解をされた結果かと推測しております。改めて、謝罪をもうしあげます。

しかし、それにつきまして、私情・自らのコンプレックスからそのような記事を書いたというつもりは毛頭ございません。

もしもそのような意図で当記事を書いたのであれば、それこそ私自身がこの「理屈っぽい人」に当てはまることになります。

また、当文章を読みまして、私はIQが高いのを自慢しているという声も上がりました。

それに関しても否定をさせていただきます。詳しくは当ブログ記事

元メンサ会員だけど、高IQ団体に入るメリットはないと思っている

IQが高くても、メンサ会員になっても、メリットは少ない

などをご覧になっていただければと思います。

自らの経験をもとに、高IQのデメリットも書いていますので、それを読みましてから判断していただければと思います。

また、理想の女性像に固執しているという内容も同じコメントにてうかがわれましたが、その点においても否定しておきます。

ここで申し上げたかったのは、一方的な意見しか認めないのを理屈で固めて説明するという行為は論理的能力に乏しいのではないかということです。

ここにおいて発言者の性別は全く関係ございませんし、私の性事情・家族との関係においても関係がありません。

私の意図と大きく異なるコメントを頂いたので、この場においてお詫び・訂正を表明いたします。

 

(2019.6.26追記)

この記事に対しまして、あたかも理屈っぽい人全員が、上で挙げましたような『極論の否定によりつくられる正論』を振りかざす人であり、そうでない人もいるので主張は正しくないという旨のコメントをいただきましたので、それに対しこの場で説明いたします。

確かに、正論にもさまざまあり、上で挙げました二人の例は、いわば頭の悪い理屈っぽい人がいる点しか述べていません。

しかしながら、同時に、どれだけ正論に見える主張であっても、そのただしさを完全に論理だけで説明することは多くの場合不可能であり、どのような主張でも、事例を極端にしてしまえば反論することは可能でしょう。結局、正論とうものは、見る人の感情によって判断されるところが少なからずあるかと思われます。

その意味で、正論はいくらでもつくることはできると書いた次第であります。

たかまつなな氏、シュナムル氏の例を挙げたのは不適切なところはあったかと思いますが、私の主張自体は問題ないと考えています。

 

 

(2019.7.19追記)

当記事について『意味がわからない』というコメントを頂いたので、以下、より簡単に内容をまとめて書いていきます。

当記事では、理屈っぽい人のことを「正論を完全に正しいという考えのもと持論を展開する人」と定義しています。

 

しかし、正論とは本当に存在するのか、私は疑問に思います。

少なくとも、あるとしても賛成か反対かといった単純なところには存在しないと考えています。

というのも、極論を否定すればそれは多くの場合正しい主張になるからです。

 

例えば日米関係についてがその一例でしょう。

「アメリカのいうことに全部従うのは良くない。」これは正論だと言えるでしょう。

しかし、その正反対、「アメリカのいうことに全部反対するのも不都合が生ずる。」これもまた多くの人が賛同する、「正しい論」でしょう。

この2つの正論は、「アメリカにはすべて従うべきだ」「アメリカには全部反対だ」という二つの極端な正反対の主張を否定することで作られた『正論』です。

 

つまり、極論を否定することで、まったく別物の『正論』を作り出すことができる。

この意味で、私は『正論には限界がある』と書いているわけであります。

 

果たして、理屈っぽい人が、この正論の限界に気付いているかどうか。

どうも、世の中の『理屈っぽい人』はこの限界に気付いていないようだ。

だから、その意味で、「理屈っぽい人は頭が悪い」と主張しているわけです。

 

 


Published by english-otter

早稲田大学先進理工学部卒。クイズ番組が好き。 社会問題も興味あり。計算も好き。要はたいがい好き。 好きな人は小倉唯。男性は伊沢拓司。 twitter @english_otter Naverなどまとめサイト・キュレーションサイトへの無断転載は禁止しておりますのでご了承ください

3 Comments to “理屈っぽい人は論理力に乏しい人だという話。”

  1. Name より:

    理屈っぽくてワロタ

  2. ふゆ より:

    あなたの話は、正論ではないツッコミ所のある論を正論だと間違って理解している理屈っぽい人がいるという事しか説明できておらず、それで理屈っぽいから頭が悪いとか、その傾向があるとは繋がらないでしょう。単に頭の悪い理屈っぽい人がいたってだけの話でしょう。これは論理の飛躍であり、逆に貴方の例から貴方の論理展開に沿った結論を導き出そうとすると、理屈っぽい人を頭が悪い傾向にあると論じる人は頭が悪い傾向にある、となりますよね。もちろん違うと思いますが、貴方の主張はそういう事ですよ。

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