2011年3月11日。忘れもしない東北地方太平洋沖地震が起こりました。
これを書いている現在で、7年半が経ち、世界・日本は大きく変わりました。
熊本地震・西日本豪雨・台風21号・北海道胆振東部地震といった災害が起こり、そのたびに、自然災害の脅威というものを身に染みて感じます。
東日本大震災は、決して風化させてはいけない災害です。しかし、毎年多くの災害が起こる日本という国で、この災害を過去の出来事だととらえてしまう人がいることもまた事実かと思われます。7年半というのはそれほど長い時間で、日本はそれだけ天災の多い地域なのです。
しかし、東日本大震災により避難を余儀なくされている方は、いまだに5万8000人ほどいます。(毎日新聞より)
福島県には、いまだに帰還困難区域が存在します。
東日本大震災は、現在進行形の災害です。
2018年9月11日・12日、わたしは宮城県・福島県に行き、震災遺構の仙台市立荒浜小学校、そして、福島県浪江町を訪れました。
情報が不十分のところもありますし、他にも訪れるべき場所があったことはいなめません。しかし、少しでも、改めてこの災害がどれほどのものだったかを思い出すヒントとして、今一度読んでいただけたらと思います。
東日本大震災を含め、災害の被害に遭われましたすべての地域が、一日も早く復旧し、避難している方が一刻も早く戻られることを、心よりお祈り致します。
1日目、仙台
9月11日、仙台市を訪れました。仙台駅に着いたのは14時ごろでしたが人が大勢いて、やはり東北の中心地だなという印象を受けました。
しかしこの地もまた、震災の被害に遭いました。仙台駅のある青葉区では6弱、同市宮城野区では6強を観測しました。
せんだい3.11メモリアル交流館
同市にあるせんだい3.11メモリアル交流館を見学しました。
宮城県と地震の歴史、そして3.11以降の写真・ニュースがひとつひとつ展示され、最後にこのような文章が書かれていました。
2021年3月11日
東日本大震災発生から10年、国の復興基本方針に定められた10年間の復興期間が終わり、復興庁が閉庁
この文が最後に書かれてあったことが、訪れる人を考えさせます。
復興庁は2021年3月に廃止が予定されています。残り2年半、それまでに果たしてすべてを解決できるのでしょうか。
荒浜小学校
続いて、仙台市立荒浜小学校を訪れました。
ここは震災遺構として2017年より公開されています。
学校の2階まで津波が来たことを表しています。
2階ベランダの柵が完全に壊されています。当時のままです。
1階は天井まではがれています。7年前、ここですべてが飲み込まれました。
2階には、津波到達ラインが表示されていました。私のちょうどひざくらいの高さです。
屋上からの写真です。どうってことない風景のようですが、海が見えるのがわかります。
荒浜小学校は、海までわずか1kmほどのところにありました。7年半前、その海がここを襲いました。
残念ながら、写真と文だけでお伝えできる情報には限度があります。私の技術が下手なこともありますが、たとえだれだけうまく撮り、どれだけうまい表現をしたとしても100%伝えることは難しいと思います。
逆に、実際に行ってみると、どれだけ近いところに海があるのか、身に染みてわかります。時間に余裕のある方は、ぜひ一度、訪れてみることをお勧めします。
今回は以上です。
福島県浪江町を訪れた感想はこちらです→東日本大震災から7年半、宮城・福島に行ってみた。2日目・福島編
英語版→What I saw 7 and half years after Tohoku Earthquake ~My Visit to Sendai and Fukushima~