公開日:2018年5月17日

ディベートで「はい論破」という言葉を使う人の頭が悪いと思う理由


スカッとジャパンという番組があるね。

そのなかの名物キャラにイヤミ課長というのがいる。

口癖は「はい、論破」。完全に悪役にも関わらず、その小心者の度合いから愛されているね。

 

さて、とはいえ実際にこの言葉を使っている人で人気の高い人はいないように感じるよ。

もちろん、知らず知らずのうちに論破してしまうことは多くの人に当てはまると思う。

でも、そうじゃなくって「はい、論破」と自分で言っちゃうのは、僕は極めてダサいと思うよ。

今回は、その理由を書いていくよ。

1.「はい、論破」は論破なのか

1.1.そもそも論破とは

そもそも、論破ってなんだろう。

広辞苑にはこう書いているよ。

議論して、他人の説を破ること。いい負かすこと

つまり、議論していることがあるということだね。

1.2.「はい論破」が論破ではない場合がある

これを踏まえると、論破として使われていることが、厳密には論破でないことがあるね。

googleで「はい論破」と調べると、トップにのっている記事がこちらだよ。

はい論破!誰1人として反論できなさそうな「ド正論」5選

他人のツイートを乗せただけで記事として成立しているのもどうかと思うけれど(wordpressで同じことをすれば評価が低まる)、個人個人のつぶやきだから、「論破」というにはふさわしくないね。

あるいはイヤミ課長にしても、議論ではない場所で「はい、論破」を使っていることがあるから、言葉の使い方としてはただしくないようだね。

もちろん、僕自身常に正しい言葉遣いをしているわけではないし、そこをしつこく責めることはしないけれどね。

2.「はい論破」は議論で使えるのか

2.1.論破できる議論は程度が低い

さて、では議論における論破を見ていこう。

ニコニコ大百科を参考にすれば、意見の衝突の際、どこがどう間違っているのかを指摘するのが論破の本質のようだね。

ということは、論破できる、少なくとも簡単に論破できるような相手は、論理の組み立てに明白な間違いがあるということなんじゃないかな。

 

そんな相手と議論したところで程度の低い議論になりそうだけれど、意外にもそういうのが当てはまりかねない事象がある。

それが「経験」だ。

もちろん、経験というのはすごく大事なことで、論理的に行き詰まったときにたよりにすべきものだけれど、論理的に考えて明らかに非効率なのに「経験」のせいで変革できないケースを目にするよ。

いわゆる大企業病の原因もここにあるんじゃないかな。

「この方法で成功していた。だからこれからもできるだろう」というのは他にライバルがいない黎明期なら可能だろうけれど、その手法が倫理的に問題があったり非効率だったりすれば、もっと効率のいい新参企業に追い越されるのは想像に難くないね。

昔の「いっぱい働けば、いっぱい儲かる」という時代は終わろうとしている。

それに気が付いて合理的に考えようとしたのが、現内閣で推奨されている働き方改革やプレミアムフライデー制度だね。

現実にはうまくいっていない(特にプレ金)のが厳しいところだけど、発想自体は極めて合理的だと思うよ。

 

とにかく、「経験」だけで議論をすると、程度が低かったり、生産性が低かったりする議論しかできなくなるんじゃないかな。議論の終盤ではなく、序盤または途中で経験則を出してくる相手(とくに相手の勤務年数が長い場合)には注意しよう。

2.2「はい論破」を言う人は頭が悪い?

さて、論破できる議論のレベルが低いことをわきまえたうえで、じゃあ「はい、論破」って自分から行ってくる人についてはどうなのか考えてみよう。

復習すると、論破可能な主張というのは、論理的な欠陥がある意見ということだ。

つまり、本来論破するのであればその欠陥を指摘すればいいだけの話だね。

 

ということは、本当に論破するならば、わざわざ「はい、論破」なんていわなくても矛盾点を相手や聴衆に指摘できているはずだよね。

実際、論破王で知られる(?)西村博之さんは自分から「はい、論破」といっているのを、僕は聞いたことがない(YouTubeで彼に関する動画では、サムネイルでひろゆきさんが「はい論破」といっているように見せているのがあるけど……)

理論や知識で武装して、論破できる自信があるひとはあまり「はい、論破」といわないようだね。僕が知る限りでは、討論で「はい、論破」といっていたコメンテーターは一人だけだよ。

 

わざわざ「はい、論破」というのは二度手間だよね。そこに意味があるとすれば、主張ではなくて相手自身を攻撃する、あるいは「自分は彼または彼女を論破した」と自己満足する、それ位じゃないかな。

てことは、「はい、論破」という言葉自体は議論の内容とまったく関係ないところにしか作用しない、議論を深めていくにあたって全く貢献しない言葉なんだね。そういう議論と関係ないことを議論で使うのは、無駄が多いい方法であって、あまり賢いやり方とはいえないね。

3.論破してなんの得があるのか

3.1.論破で議論は進まない

さて、論破には意味があるのだろうか。

もちろん、論理やデータの矛盾を指摘すること自体には意味がある。それをしない議論は議論として成り立たないんじゃないかな。

でも、「相手を打ち負かす」には何の意味があるんだろう?

 

先述したように、論破には打ち負かすという意味合いがある。

では、相手を打ち負かしたところで議論は深まるだろうか?

 

僕は、そうは思わない。あくまで心理的な効果になってしまうけれど、打ち負けた相手がこれ以上まともな反論をするだろうか?

論破された以上に警戒して、何も言わなくなるなんじゃないかな。

こちらのサイトで論破の方法のその1に「矛盾点を集中的に指摘する」と書いてあるけれど、では過剰に指摘すれば物事の解決に向かうだろうか?

 

論破とは少し異なるけれど、現在の日本で森友・加計学園問題が解決されない理由の一つがここにあるとおもうよ。

野党連合とされる政党の議員さんは森友加計問題を追及しているといっているけれど、その内容は

・特定の学園への贔屓があったのか

・官僚による文書書き換えはあったのか

・安倍総理(と昭恵さん)の関与があったかどうか

の3点だけなんじゃないかな。

 

そうじゃなくて、官僚のシステムに忖度を許してしまう欠陥があったのでは?とか、いろんなを考えなければ、安倍総理としても似たような答えをするしかなくなって、それ以上先へ進まないんじゃないかな。

論破したがる人も同じで、ひとつ矛盾点があったところでそこを徹底的に指摘すると、「相手を打ち負かす」ことはできたとしても、それ以上話が進まない。なんのための議論なんだということになるよね。

3.2.論破よりも、納得させたり、解決したりする

そもそもなんのために議論するなかを考えると、テレビ討論はべつとして、何かを進展させることが目的の一つじゃないかな。

こちらの記事にもあるけれど、議論がうまい人は、議論を勝ち負けではなく、より良いアイディアを出すためにしている。

こっちと相手のどちらがいい意見かではなくて、一番いい意見は何なのかを探る。

そういう議論をした方が、相手も納得しやすいし、もしくは論破なんかよりも大きく前進するんじゃないかな。

 

 

今回は以上だよ。

ぼくも、論破じゃなくて解決を目的とする記事を作っていきたいよ(^●ω●^)

 

齊藤孝「“論破好き”の私が論破をやめた理由」


平和ボケ お花畑を論破するリアリストの思考法


おしゃべり異種格闘技 論破王


論破する技術


Published by english-otter

早稲田大学先進理工学部卒。クイズ番組が好き。 社会問題も興味あり。計算も好き。要はたいがい好き。 好きな人は小倉唯。男性は伊沢拓司。 twitter @english_otter Naverなどまとめサイト・キュレーションサイトへの無断転載は禁止しておりますのでご了承ください

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