はいどうも、カワウソだよ。
2018年2月27日から、株式会社明治がきのこたけのこ選挙を開催しているよ。
https://www.meiji.co.jp/sweets/chocolate/kinotake/
同年7月末までの投票で、結果はきのこ派の勝利だった。
しかし2019年、再選『新きのこたけの戦争』と表現べき『きのこたけのこ国民総選挙』が開催された。
https://www.meiji.co.jp/sweets/chocolate/kinotake/cmp/2019senkyo/
あきらめの悪いたけのこ派の恨みなのか、それともより圧勝したいきのこ派の余裕なのか、どちらにせよきのこ派の二度目の勝利を目指すばかりだよ。
きのこの山とたけのこの里、きのこたけのこ戦争がなぜ終わらないのか考えていくと、世界の諸問題との共通点が見えてきたよ。例えば、今なお続いておりむしろ近年悪化している日韓問題もまた、このきのこたけのこ戦争を掘り下げていくと理解できる部分があるんだ。
世界の諸問題の多くは「相手と話が通じない」ことに起因している。
今日は、きのこたけのこ論争から話が通じない人の特徴を考えていこう
きのこたけのこ戦争は終わらない
たけのこ派の主張
なぜぼくがここできのこより先にたけのこ派の主張を書くか、それはその主張内容と関係しているよ。
ネットで調べたたけのこ派の主張のなかで一番多かったのが
「売上がたけのこ>きのこ」
そして
「吉田沙保里がたけのこ派」
という事実だよ。
正直、この事実を出されたらきのこ派にはたまったものじゃないように思うけれど、とにかく見ていこう。
きのこ派の主張
売上という結果で勝負するたけのこ派に対して、内容・質で勝負しているのがきのこ派と言えるよ。
まず質量。きのこはたけのこよりも重い。
そして、チョコの量が多いんだ。
世の中には、高品質とベストセラーが一致しないケースはよくあることだ。それをたけのこ派は暗示しているのかも知れない。
きのこ派の主張としては、内容でいえば明らかにきのこの質の方が高いのに… ということだろうね。
ちなみに、女性声優界で一番色っぽい1人である上坂すみれさんはきのこ派だよ。
「どっちも美味しいじゃん」はタブーだった
さて、この戦いには魔法の言葉があるんだ。これを受け入れれば一瞬にして決着がつく。しかし、今まで口に出したものはむしろ非難を浴びる言葉があった。
そう、「どちらもおいしいじゃん」だ。
しかし、どうもこの言葉はタブー視されているようで、これを投げかけたコメントは玉虫色だと叩かれる傾向にある。
なおこの争いに対し、「どっちも好き」と、中立の立場をとることは禁忌とされる。
争いを好まずにこう発言したとしても、互いのプライドを賭けて戦う戦士達にとっては冒涜なのである。実際に食卓でこのような発言をした際、家族全員から罵倒された挙げ句、夕食をポッキーにされた者がいるとかいないとか。
もちろん、これがある程度ネタで、少なくともきのこ派かたけのこ派かで殺人事件が起こる程度にはなっていないからこそのタブー視だと思うよ。
「どちらもおいしい」という意見を取り入れてしまうと、この戦いがそれ以上展開されなくなる。
「どちらもおいしい」という言葉がタブー視されるのは、両派がこの争いを無意識下で楽しんでいる証拠なんじゃないかな。
話が通じない人は主観的である
さて、このきのこたけのこ戦争の概略を学んだ上でもう一つの本題に入ろう。
なぜあの人は話が通じないのか
これときのこたけのこ戦争とに何の関係があるかと思うかもしれないけれど、実は密接なつながりがあるんだ。
それを見ていこう。
結論から考えてるから変な解釈をする
話が通じない人はなぜ話が通じないのか。これを考えていくと、ひとつの答えにたどり着いた。
話が通じない人というのは、結論ありきで考えているんだ。
本来科学的な見方だと、仮定や事実から結論に至るけど、それと逆方向に考える人がいるんだ。
そして、その具体例の1つがきのこたけのこ戦争なんだ。
実は、さっき書いたキノコ派の主張・たけのこ派の主張というのはどちらも事実に基づくものだ。
たけのこの里の方が売り上げが多いのも、キノコの山の方がチョコが多いのもどちらもれっきとした事実だ。
ではなぜ同じ事実から異なる意見が出、結論にたどり着かないのか
僕は、それはお互いが結論を先に決めているからだと考えているよ。
すなわち、たけのこ派の人はたけのこの里との方が美味しい、きのこ派の人はきのこの山のほうがおいしいと言う結論が事実の前に現れている。
だから、きのこ派の人は売上という事実を軽視し、たけのこ派の人はチョコの量を見くびったり都合よく解釈したりする。
そのために、いつまで経ってもお互いに負けを認めないんだ。
きのこたけのこ戦争と日韓問題
さて、このきのこたけのこ問題、実は国際情勢にも関係している。
主なものが領土問題だ。
例えば竹島問題を見てみよう。
竹島が日本の領土であることは外務省も明確に示しているよ。
韓国側の主張は、こちらからするとやや客観性に欠けるものが多いように見えるね。
テレビでよく主張されるのが「竹島が韓国領である証拠を日帝が焼き捨てた」というもの。
正直、これは悪魔の証明といって、論理的に否定するのは極めて難しいんだ。
一応ぼくなりに反駁すると、
仮にそうだとすれば、日本は朝鮮半島を後々解放する算段だったことになる(植民地のままにするならば焼く意味がない)。帝国主義の時代に日本がそこまで考えていたのかという疑問が生じるし、日本がそこまで算段があったなら竹島に限らず済州島,巨文島及び鬱陵島に関する文書も焼き払えたのではないか。
というような反論ができる。
事実から始めて考えれば簡単な反論なら可能だ。でもなぜ韓国国民が竹島を自国の領土だと、おそらく本気で考えているか。
事実から始めていない、「竹島はわが領土だ」という主張から逆算しているからじゃないかなと思うよ。
領土問題だけでなく、日本人の中にもこういう結論ありきの主張をする人は多いね。現在問題となっている徴用工問題、G-SOMIA脱退なんかもこの類ではないかと思うよ。あるいは、韓国とは直接関係ないけれど、芸能人のトラブルをすべて安倍政権の仕業だと考えるのも、主張から逆算して都合よく論理を展開しているからに過ぎない。
ようは、結論ありきで考えているから、お互いに理解できないのではないかな。
結論から考えてる人の見分け方
さて、きのこたけのこから政治問題まで、解決しない問題の過半数はこの「結論ありき」の考えが主張者の片方あるいは双方にあるよ。
もちろんそれが人間の性なところもあるし、ぼく自身全てがすべてファクトベースで考えているというわけではないよ。
でも、議論においては「結論は導かれるもの」ということを意識したいな。
では、どんな人が「結論ありき」の考えか見ていこう
妙な解釈する人はクロ
まず、一番多いのは、「なぜそんな発想になったのか」って発想をする人。
通院をお勧めします。 pic.twitter.com/PUraN4cYRn
実際にツイッターで探すと芸能人の不都合を安倍政権のせいにする人が何人も出てくる。
安倍総理の評価は置いておいても、安倍首相が自身に都合悪い芸能人を排除するというは、いささか不自然な考えに思うよ。
すくなくとも保守や中立の人からすれば「政権」と「芸能」はなかなか結びつけにくい。
これはやはり、政治的信条が自らの考えに影響を与えている、非客観的な考えじゃないかな。
「○○の可能性を否定できない」は要注意
そしてもう一つ、「可能性を否定できない」という言葉はグレーだよ。
なぜなら、この言葉は論理的に否定することが極めて難しいんだ。
例えばトランプ大統領や武田邦彦氏が提唱している「co2を出しても地球温暖化は嘘だ」という説。
確かにco2や人間活動と地球温暖化との相関関係は示されているけれど、
もし宇宙人がいて、地球上の環境を逐一操作しているとしたらどうだろう?
実は、統計の世界では、AとBとの相関関係が「99%ある」ということはできるけれど、「100%ある」とは言えないんだ。
とにかく、多くのことは論理的に完全否定できないんだ。
逆に、論理的に否定できないゆえに、論理的な人が陥りがちなトリックでもあるよ。
どうすれば話が通じない人と話ができるか
事実や仮定から考える
まず、これは自分が「話が通じない人」になるのを防ぐ手段なんだけど、思想無き「事実・仮定」から始めること。
これでまずは、少なくとも自分は客観的な立場になてる
「どっちも党」というタブー破りに倣う
そして、その立場になれば、あることに気づくことがある。
どちらの主張も完璧でない
こういうケースが起こり得るんだ。
正直、議論が長引いているのは、どちらも完全には正しくないからということが多いよ。
どちらの意見にも欠点があれば、お互いがそこを追及しっぱなしだからね。
きのこたけのこもそうで、
きのこの山・たけのこの里ともに一長一短だから議論が長引いている。
そこで、時には第3の案を出す方がいい。
それが「どっちも党」の存在意義だね。
二元論的に考えるのではなく、その中間あるいは両者ともかけ離れた主張が正しいこともあると思うよ。
小池都知事ふうに言えば「アウフヘーベン」だね。
相手の立場を理解する
そして最後。背理法。
高校で数学を勉強した人ならわかると思うけれど、もう一度復習しよう。
簡単に言うと
「おまえ、そんなに言うなら俺もやったるわ→ほら、ここんとこおかしいだろ?」
だよ。
数学的な例はこちらを参照 してね。
社会的な例は、実はさっき竹島のとこであげたけど、もっと他の例を考えよう。
ある事件において、容疑者A,B,Cのうち、アリバイがあったのはBとC.
BとCのアリバイが強固なもので、かつ他に原因が見つからない場合、Aを疑うよね。
なぜか。
もしAが犯人でなければ、BかCのどちらかがやったことになる。しかしBCにはアリバイがあり、犯行は不可能。
てことは、「Aは犯人でない」という仮説が間違っている。よってAが犯人だろう。
もちろん、実際の事件はもっと複雑にあらゆるケースを考える必要があるけれど、目星を立てるのならこういった背理法は有効だね。
まとめると、
多くの問題は「話が通じない」ことに起因し、彼らの考え方を分析することで対策は可能。
本日はここまでだよ。
客観的に考える能力のある人々に栄光あれ!だよ(^●ω●^)