はいどうも、カワウソだよ。
2019年、新しい元号、令和が発表された。
新しく令和の時代になったけれど、一部の人はこの元号という制度自体に反対しているようだ。
西暦という世界基準がありながら、50年とか20年とかの単位で区切らない元号を使うのは非効率で非合理的だという意見もあるよ。
実際、過去に元号を使用していた中国でも現在は元号を使っていない。
日本だけ元号を使い続ける意味は何かというと、納得のいく答えを出せる人は少ないのではないかと思うよ。
さて、これに関係しての話。
世の中には、合理性こと全てと思っている人がいるようだね。
『令和』という新元号に反対している人、より正確に言えば共産主義系の人はその傾向が強い。
理系脳で考える AI時代に生き残る人の条件 で、おなじみの成毛眞氏に言わせれば、そういう風に合理的に考えることは理系脳の特徴だそうだ(成毛氏は共産主義自体には触れていない)
でも、理系学部出身のぼくからみると、合理的な人を理系脳というのはちょっと違うようにも思うんだ。
今回は、改めて、成毛眞氏とは異なる『理系脳』の定義をかんがえていくよ。
『理系脳』の人、みな文系出身。
文系出身成毛眞、文系出身堀江貴文
まず、合理的と巷で言われる人をあげてみよう。
成毛眞さんに加え、堀江貴文さんがいい例じゃないかな。
成毛眞氏は著書でアベノミクスの合理性・わかりやすさを評価していたから、彼に言わせれば安倍晋三さんも理系脳に入るかもしれない。
逆に、理系脳でない『文系脳』のはどんな人か。
成毛氏が具体的にあげているのは、
鳩山由紀夫、菅直人元総理だよ。
ここで、詳しい人なら気づいたかもしれない。
上にあげた、『合理的な理系脳』と言われる人は文系学部出身、『文系脳』とされる人は理系学部出身なんだ。
もちろん、文系学部出身=文系脳というわけではないし、理系学部出身で理系脳とも限らないよ。
成毛眞氏自身、理系学部を優秀な成績で卒業したからといって理系脳とは限らないと書いている。
しかし、理系学部出身で、ホリエモンのような、合理性だけですべて解決しようとする人は、理工学部の中にもほとんど見かけないのもまた事実のように感じるよ。
ぼくら理系の考える『合理的』と、ホリエモンや成毛眞さんにみられる『合理的』は異なるものがあるよ。
「頭の回転が速い」と「頭がいい」は違う–知能について考えたこと
端的に言って、成毛眞氏が言っている『理系脳』とは一部の文系の人が受け取るような称号であり、理系学部出身の過半数は『理系脳』ではない、むしろ文系脳と呼ばれる可能性があるということだね。
合理的至上主義はあぶない


その合理的判断は、本当に合理的ですか?
では、合理性は役に立たないのかというと、決してそういうわけじゃないよ。
合理的に考えるのは、うまく使えば便利だよ。
きちんとした根拠を持ち、きちんとした筋道を立てた主張は、間違いになることはないと断言するよ。
でも、それが同時に弱点にもなるんだ。
逆に言えば、きちんとした根拠が不足していれば、主張の正しさが成立しないんだ。
ただ、先に挙げた、『合理的』な人たちは、論理自体は正しいかもしれないけれど、その前段階に関して正しいデータを基にしていない場合があるのではないかな。
この、十分な根拠が必要という点を無視した、なんちゃって合理主義がはびこっているようでならないんだ。
(後記)
ひろゆきさんも、著書『論破力』の中で、僕と似た考えをもっていたよ。
ひろゆき・『論破力』感想。日本の議論を正しくする方法がかかれていた!
つまり、推測をスタートとした論理展開では、その論理が本当に正しいかわからない。
だから結局突き詰めると主張者の感情・心情に基づく感情論に帰着してしまいがちだ。
しかし一方で理系出身の人はファクト・事実から話を展開する。
だから、自分の感情と切り離して論議を進めるから物事の解決がスムーズにいく。
合理性とはまた別のところで、頭のいい人、悪い人を評価しているようだね。
理系の考える『理系脳』とは

違った考えができる
では、本当の意味で『理系脳』とはなんだろうか。
ぼくは、人と違った観点から物事を見る能力があることが理系脳の定義じゃないかと思っているよ。
というのも、著名な科学者がその能力を持つからだよ。
成毛氏は、理系出身者だからって理系脳とは限らないって書いているけど、
じゃあどういう人が理系脳をもっているべきか、理系脳という言葉を使うのであれば、なぜその言葉が使われるべきなのかをかんがえていこう。
そうすると、理系を生業とする職業の人、その中でも、現代まで残る業績を残した人がそうなんじゃないかなという結論に達したよ。
で、ガリレオやニュートンについて考えた時、そういった天才科学者は他の科学者とは違う観点で見ていたと思うんだ。
アインシュタインや湯川秀樹が優れた業績を残したのは、単に論理力が強いからではないよね。
今まで誰もができなかったような観点・発想を持つことができたからだ。
事実、相対性理論は、今や物理を勉強する大学生なら半数以上が習う科目なんだ。
つまり、相対性理論の理解に必要な論理・計算力は、現在の大学生が持つレベル。
また、その論理展開でさえ、もとはローレンツという別の科学者が考えたもので、アインシュタイン自らがゼロから考えたわけではない。
ただ、ちょっと考え方を変えただけだ。
そんな、『論理的には簡単』な、それも『計算式を別の科学者からパクってきた』相対性理論が『科学の歴史をかえた』と言われるのは、アインシュタインが
『時間や空間は、絶対的なものではない』『光は単なる波ではなくて、波動と粒子の両方の性質を持ち合わせている』
という、他の科学者ができなかった発想をしたからだよ。
もちろん、その発想を数式にかえるには論理が必要だけど、アインシュタインを有名たらしめたのは、彼のほかとは違う発想力に他ならないよ。
ほかにも、湯川秀樹の中間子理論、あるいは、中村修二さんの青色発光ダイオード開発は、合理的に考えただけでなく、人と違う考えをしたからだよ。
こういう人たちのことを分析した結果、
理系脳とは、ただ合理的に考えるだけではなく、人と違った考え方のできる人である
というのがぼくの結論だよ(^●ω●^)
コチラもオススメ!
ひろゆき・『論破力』感想。日本の議論を正しくする方法がかかれていた!