
はいどうも、カワウソだよ。
日本の大学の頂点といえば東京大学。
ぼくのツイッターのフォロワーさんの中にも、東大卒や東大受験生がいるよ。
客観的に見て非常に賢いと思っているよ。
しかし、そんな東大においても、弱点がある。
僕は、その一つにコメンテーターがあると思っているよ。
東大出身者でご意見番として知られる人を挙げると、堀江貴文(中退)、三浦瑠璃など。
正直、癖が強い人が多い。
その一方で、他の大学出身者の方が、人気が出ているようにも思われる。
例えば、慶應卒の池上彰氏の方が、さっき挙げた東大出身コメンテーターと比べると拒絶感は弱い(池上Metooのあとは拒絶するひとも増えたけど)
あるいは、同志社卒の佐藤優氏の方が東大出身の一部の学者が書いた書物よりも説得力がある。
どうも、東大出身者よりもこういう人の方が賢そうに見えてくる。
今日は、なぜ東大出身コメンテーターがいまいちなのか考えていくよ。
周りに無知がいない

まずは、東大を褒めよう。最初の項目だからね。
東大の人は知的水準の高い人が多い。
当たり前だ。
逆にいえば、知識を持っていない人が少ないんだ。
勉強しかできない人も中にはいるかもしれないけれど、そういう人でも、少なくとも文系であれば日本史や世界史の知識は十分ある。
ただ、それが問題なんだ。
頭がいいことが問題なのかというと語弊があるのだけれど、でもしかし、東大という環境で4年間育つというのは、コメンテーターとしては弱点になり得る。
知的水準の高い界隈にすんでいれば、わざわざみんな知っていることを確認することはない。
ただ、それに慣れてしまうと、世間の人が解説を必要とすべき知識を省略して話してしまうんだ。
MENSA会員が、論理展開を飛ばして会話するのと似た感覚だと思うよ。
で、そういう、みんなが欲している知識を埋めているのが池上さんだ。
彼は週刊文春で、『ニュース そこからですか!?』を連載している。
あるいは、選挙特番では毎回、基礎的なことから説明しているね。
今回の選挙の争点は、とか、そもそも希望の党ってどうやってできたんだっけ、とか、
ニュースを見ている人なら知っている情報も、改めて確認しているよね。
これは、彼がもともとNHKの『週刊こどもニュース』で、子供にわかるような解説をするよう意識していたことが関係しているんじゃないかな。
事実、池上さんは著書書く力私たちはこうして文章を磨いた (朝日新書)の中で、朝日小学生新聞に書く文章は、小学生にもわかる文章を書くよう心がけていると書いているよ。
東大関係者は、周りに知識のない人や理解力の低い人がいないから、池上彰さんのようなわかりやすい説明が下手だ。
東大出身コメンテーターも、『こどもニュース』のような番組に出たら、わかりやすい解説ができるかもしれないね。
合理性がすべてだと思っている
次に、東大出身者の共通点として、論理展開の能力に優れているという点があるよ。
文科系においても二次試験で数学が課されるから、非論理的な人は合格しづらい受験システムなんだね。
そこが、私立文系の弱みともいえるね。
『数学が苦手=論理が苦手』というわけでは必ずしもないけれど、早稲田や慶應といった名門私立の出身者にも、全然合理的じゃない考えをする人がいるよね。

でも、合理的すぎるんだ。ここが東大生のある意味での弱みだと思っている。
よくも悪くも、日本の社会は合理的でない部分が多い。
例えば、とある一流の寿司屋では、弟子入りしてから10年は掃除をさせられて、玉子さえ握ることができないんだ。
よくある話だけど、言われてみれば確かに非合理的だね。
これがとある番組で紹介された時、堀江貴文氏が『こんなやり方、最悪ですね。』とコメントし、騒ぎとなったことがあるよ。
確かに、合理的に考えれば、10年玉子を握った方が、10年掃除しかしない場合よりも美味い寿司が早く握れるようになるね。
実際、そういう考えの寿司屋や料亭も増えてきている。
カンブリア宮殿で紹介されていた料亭菊乃井なんかは、その一例だよ。
でも、お客さんが求めているのは、合理性なのかな?
いな。客がすし屋に求めているのは、過程ではなくて結果だ。
これはあくまで推測だけど、掃除や洗濯をすることで、立場の低い人のことを考えられるかもしれない。もしくは、常連さんとの人間関係を築くための修行かもしれない。
そういう可能性を考えないで、合理的に『最悪』と断定するのは、あまりにも短絡的じゃないかと思うよ。
池上彰氏はその点も理解しているようで、『本当に言いたいことほど、表現を柔らかくする』とも『書く力』に書いているよ。
世の中の問題は解が有限個とは限らないしね。合理性に基づいて断定しないように心がけよう。
言い訳・弁明が下手すぎる
彼らが合理性に頼っている点は、弁明にあらわれているよ。
一番印象に残っているのは、コメンテーターではないけれど、東大出身の舛添要一前都知事の『セコい』騒動じゃないかな。

中国服を買った理由を問われて、
私は筋肉がありますので、和服を着て文字を書くと引っかかるんです
と回答したよ。
そういう答えを求めているんじゃないって話だよね。
確かに論理的に考えると、まあ筋は通っているかもしれない。
舛添氏本人も、自分は論理的に考えたいのでああいう言い訳をしたと言っているよ。
多くの人が求めていたのは、説明ではなくて、むしろ謝罪だったんじゃないかな。
質問に対して答える、この行為自体はとても理にかなっているけれど、それ以外のことを想定しない。
確かに謝罪したからって、直接的に何かが変わるのではないけれど、長期的にみれば、求心力の低下を防ぐ意味で、効果はあるんじゃないかな。
東大に限らないことだけど、こういうところが、短期合理性に頼りがちな人の欠点だね。
まとめると、
東大という、まわりに知的水準が高くかつ合理性を重んじる人が多い環境は、社会全体と比べて特殊な位置にある。日本社会全体に存在する多様な知的能力・情緒などを想定すれば、池上彰のような求心力を得られるのではないか今回はここまでだよ。
東大出身者に限らず、ぼくたちに言えることは、周りのことをよくみることが大切だということだね(^●ω●^)