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脳・IQ

IQが高いとなぜ生きづらいのかメンサ会員が考える

更新日:

はいどうも、カワウソだよ。

前回に引き続き、IQに関するお話だよ。

前回は、IQがさほど高くない人が試験対策をしてMENSAに入会するのはムダだということを書いた。

今回は、IQの高い人、対策などしなくても余裕でメンサに入れちゃうような人に関する話だ。

 

ズバリ、MENSAに余裕で合格できる程度のIQの持ち主は、むしろ社会においては生きづらいのではないか

というのが、今回提唱する仮説だよ。

これは、現役メンサ会員の僕(ASD(いわゆるアスペルガー症候群)でもある)自身思うところがあるし、また他のメンサ会員に対してもこの仮説が当てはまるように思ったよ。

今回は、実体験も含め、なぜIQの高い人は社会で生きづらいのかを考えていこう。

 

髙いIQの持ち主が必ずしも社会で褒められるわけではない

能力が高い人が褒められるとは限らない

 

まず、IQの高い人に限ったことではなく能力が高い人にありがちなことを言わせていただこう。

なにかしらの能力が極めて優れていても、出世したり、社会でうまくいったりするわけではない。

 

むしろ、能力が高すぎると逆効果だとも思っている。

これはおそらく社会人の多くの人がうすうす感じていることかもしれない。

「なぜおっちょこちょいのあいつが俺よりも出世するのか」とか「あの人が昇進!?課長は見る目がないのか」と思ったことがある人は少なくないと思うよ。

 

では、なぜ能力が高すぎるとまずいのか。

主な理由は2つ。

 

まず一つ。上司の能力が極めて低いから

どういうことか。

 

例えば、上司が何か提言し、それに対し、頭の回転の速い部下が「これはこうしたらどうでしょうか?」と提言してくるとする。

その場合、そのアドバイスを、上司は「自分に反抗してきた」と勘違いする傾向にある。

 

こういう経験をした社会人のかたは多くいると思う。

というのも、実際、能力が低い人ほど自分の能力を高く評価する傾向にあるというデータもある。

上司の知能や能力が高くない場合、自分の意見に必要以上に自信を持つ。そして、冷静に判断することができないから、部下のアドバイスを素直に聞くことができない。

そこでテキトーに聞き流したり、あるいは素直に受け入れたりすればいいのだけれど、合理的な考えの得意な人の中には、そういう「割り切り」ができない人がいる。

その結果、有能な人ほど無能な上司と反発し、反感を買い、嫌われてしまう。その結果、優秀なのに出世できないというケースが考えられる。

 

そしてもう一つ、逆のパターンがある。

自身の能力は高いが、能力の低い部下に対して寛容になれないという理由で、有能な人が昇進できないケースも考えられる。

 

自分は難なくできることが、他の人には容易にできない。

しかし、さっき触れたことと逆で、能力が高い人は自己評価を低く見積もりやすい。

つまり、他の人がなかなかできないようなことを「こんなもの誰だってできる」と考えてしまいがちだ。

 

能力の高い人からするとそれが嫌味とかではなく、「なぜできないんだろう」という純粋な疑問からなるもので、悪気があって言っているわけではない。しかしそれが、一部の人からは一層非道に見える。

そういう中で、能力の高い人ほど部下をうまく扱えず、その評価が低く、昇進できない。

 

ちょうど、ブラック企業の経営者の中にはそういう人がいるようだ。

具体的に言えば、(かつての)ワタミの会長がそうだ。

自分自身がとある運送会社で24時間死ぬほど働いた経験があり、それを乗り越えてきたから「24時間死ぬほど働け」と平気で言える。

彼は経営者だから昇進とかはあまり関係ないのだけれど、もし彼が課長や部長だとすれば、部下からの評価は最悪のものだっただろう。

そのように、能力が高いからこそ、出世できなかったり、社会でいきづらく感じる可能性もあるんだ。

 

 

 

IQが高い人はほかの能力が低い可能性が高い

メンサには変な人がたくさんいた

 

上記したのは、能力全般の話だ。

ここからは、IQに限定した話をしていこう。

なぜIQが高い人は、社会で生きづらいことが多いのか。

 

 

それは、IQが高い人、高すぎる人は、むしろ他の能力が低いからだ。

そのことは、僕がメンサの初ミーティングに行ったときに気付いたことだ。

メンサのミーティングでは、普通じゃない人が一般人における割合以上に存在していた。

 

新入メンサ会員の自己紹介の回で、女性、それどころか成人さえしていない女子高生(偶然だが、このJKはのちのミス慶応2018準グランプリ・上野瑚子さんだった!)が同じ室内にいたにもかかわらず、趣味が水商売通いだと言っちゃう男性(しかも、「ちょっと女性もいますが、」と前置きしていた)がいた。客観的に見てデリカシーゼロだ。

 

それならまだ、『デリカシーのない男性』で、ちょっと昔の会社(今も?)とかなら普通にいそうだ。

しかし、「この人普段どうやって生計たててんだ?」って人もいた。

 

自分の番が来た際、「ADHDで~す!!」と叫んで自己紹介を終えた人もいた。

この人のことは未だに強烈に記憶に残っている。

 

その後も何回かメンサの集会にはいったけれど、3人に1人くらい、何かヌケている人がいたよ。

高IQの人は、脳の大部分が論理的思考やパターン発見などIQ的なことに消費されて、他のことをする脳領域が侵食されているのかもしれない。そう直感したよ。

 

全体的に見て、メンサ会員の多くが欠如していたと感じたのは「コミュニケーション能力」だったよ。

一般に思われているコミュ障(適切な言葉が出てこないタイプ)というよりも、自分の言いたいことをしゃべりすぎるタイプのコミュ障が多かったと思うよ(前者のタイプはそもそも集会に参加しない、というのもあるけれど)。

なお、かくいう僕は、この2つのコミュ障タイプ両方をあわせもっているよ。

 

コミュニケーションというのは、自分の意見を考えると同時に、相手の様子をうかがう能力が必要となる。

IQクイズが単一の能力を試験しているのに対して、コミュニケーションは複数の能力を駆使することが必要とされるということだ。

だから、IQが高いからと言って、コミュニケーション能力が高いとは限らない。

 

えてして、社会でもとめられる人材というのは、複数の能力を持った人だと思う。

となると、メンサ会員のように、IQというごくごく狭い分野だけ能力が高い人は、複数の『広い』能力を求められる社会で生きづらいのは当然なのかもしれないね。

 

 

社会で一番成功するのは、いろんなスキルが上位10%以内の人

 

IQが高い人は社会でうまくいかないと序盤で書いたけれど、決してIQ自体が悪いというのではないよ。

ただ、悪いのは、IQ『だけ』が優れているという場合だ。

 

僕が好きな漫画の一つに『めだかボックス』がある。

その舞台となる箱庭学園では、能力ごとに、ノーマル・スペシャル・アブノーマル(のちにノットイコールが新設される)に分かれてクラス分けされている。

 

ノーマルは普通の人、スペシャルは、多才なグループ、そしてアブノーマルは、特定の能力にのみ特化したグループだ。

読んだ人ならわかるだろうけれど、このアブノーマルの生徒はヤバい。

ごく狭い分野に特化した能力が尋常でないほど高く、しかし他の能力は、著しく低い。

 

あるいは、デスノートにおけるLニアを想像していただけたらと思う。

この二人は端的にいって天才だけれど、社会的能力が著しく低い。

 

メンサ会員とか、IQの高い人は、めだかボックスのアブノーマル組とか、あるいはデスノートのLやニアと同じ感じだ(さすがにLやニアレベルまで極端なケースはまれだが。)

 

しかしその一方、天才タイプでは無くて秀才タイプもいる。

めだかボックスでいうところの『スペシャル』だ。

広範囲にわたってその能力が高い。ただしどれも『超人』というほどではない。

 

デスノートの夜神月みたいに、多くの能力において『超人』レベルなのは、本当にフィクションの中だけだろう。

 

すなわち、メンサ会員は『アブノーマル』だから生きづらい。人によっては本当にまともな生活ができない。

 

もちろん、アブノーマルよりスペシャルの方が優れていると断言するつもりはない。社会を動かしてきた偉人の中にはむしろアブノーマルで社会になじめない人もいるし、どちらがいいとは一概には言えない。

しかし、これだけは言える。

一つの能力だけ高すぎると、かえってぎこちなくなるということだ

それが、高IQの人を生きづらくさせている一番の原因ではないだろうかな。

 

今回はここまでだよ。

僕も社会で生き延びたいから、いくつかの能力を伸ばすことに尽力してみるよ(^●ω●^)

 

 

IQが高いことと常識の存在に関して

 

コメントをいただきましたので、それに関して私の考えを追記いたします。

まずコメントの内容ですが、以下のようなものです。

社会には常識があるが一種の洗脳のようなものをはらんでいる。そこに気付かず過ごしているのが一般人であるが、IQの高い人はその常識にうまく溶け込めず社会に順応できない場合がある

という内容です。

これに関してですが、まったくもって同感であります。

まず、常識とはなぜ存在するのかというと、おそらくは思考の省力化のためにあるのだろうと思っています。

考えることは頭を使います。何か判断に迫られた際、経験則を使えば頭をさほどつかわずに大きな判断ができるでしょう。

人間の思考力には限界がありますから、より重大な問題を浪費を少なくして解決するためには、常識は非常に必要です。

 

しかし、その『常識』の中には、国や組織のトップが自分たちの都合の良いように『作った』常識も少なからずあります。

 

例えば、この記事を書いている時点で話題の「NHKをぶっこわす」もその一つでしょう。

すなわち、NHKに受信料を払うことが常識と化しているけれども、それはNHKの幹部が作った常識なのではないか。

 

消費税もそうです。

消費税は存在して当然だという常識が私たちの中には少なからずあります。

しかし、その理由を明確に言えるかというと、なかなか難しいものがあります。(安定財源が必要というのは一応わかりますが、どうもうまくいっていないのではという気もします)

 

IQの高い人は、多くの人と比べて、考えることが好きです。合理的に考えたり、計算したりすることが趣味といってもよい人が大勢います。

そういう人は、上で述べたような「不合理な常識」が世の中にたくさんあると気づいていて、そのために生きづらさを感じている人もいるかと思われます。

 

また、メンサ会員の中には、そういう常識に縛られない方がよい人生を送れると考える人の割合も多いです。

しかしそれは同時に、社会的な、多くの人が考える成功の道から外れることでもあります。

 

こういう考え方も、高IQの人が必ずしも社会的成功をおさめない原因の一つではないかなと思っています。

 

 

 

 

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